Webサイト制作を生業にしていると、「今どき、HPなんて」と言われることも少なくありません。
SNSがあれば十分だから(要らない)とか、WixやJimdo、最近ではノーコードやAIで誰でも作れる時代だから(食っていくのは大変でしょう?)と、口に出さない心の声もはっきり聞こえてきます。
MacとDTP、システム開発が花形だった時代を経て、Web制作が金の鉱脈だった頃もありました。今は「立派なホームページ」よりも、トップページのみで完結する縦長のLPや、SPAのようなスタイルも一般化しています。
内部SEOをしっかり整え、ブログなどのコンテンツマーケティングにも力を注いだとしても……。
検索エンジンでは、低品質なまとめ記事や広告が上位を占め、「負のSEO」が目立つようになって久しい時代。さらにSGEやAIの普及によって、検索してもWebサイトへ辿り着かないケースも増えています。
検索そのものの需要が減少し、ユーザーも検索という行為に嫌気が差している。
そんな時代に、「ホームページ」は本当に必要なのか?
普通に作ってただ公開したところで、果たして誰が訪れるのか。
今回はそんな疑問に対して、あえて「当たり前」にフォーカスしてお答えしたいと思います。
あらゆるものが基本から遠ざかり、無理を積み重ねて歪んでいる今だからこそ、原点である「基本」や「当たり前」へ立ち返ることに価値がある。
当たり前というはるかな頂を目指し、ホームであるべき「基本」へ帰る旅を始めましょう。
目次
基本を捻じ曲げて、無理を重ねすぎている
日本も日本以外の先進各国も、第二次世界大戦以降の80年弱もの間、少しずつ「基本」や「当たり前」を捻じ曲げ、本来なら成立するはずのない無理を積み重ねてきているように思えます。
建前としては労働力、つまり従業員を職場に拘束する「時間」そのものに、商品としての価値があるとされ、雇用する経営者や出資者らは「時間給」や「人件費」として、雇用のために必要なコストとして支払うのが「当たり前」のはずでした。
しかし、従業員を雇用するために必要なコストと、そこから期待できる収益の釣り合いが取れなくなってくると、「価格競争に勝つため」という名目で、より安価な労働力を求めて発展途上国へ生産拠点を移したり、技能実習生や開発支援といった名目のもと、自国民よりも安く使える労働力を国内へ受け入れるように、移民推進を求めるように動いて来ました。
日本国内に目を向けると、長らく続いた「失われた何十年」によってサービス残業が常態化し、非正規雇用や業務委託(=フリーランス、クラウドソーシング)といった働き方もすっかり定着しました。
業務内容や能力に大きな差はないにも関わらず、正規雇用との待遇格差が存在するということも、珍しくありません。
正規雇用についても、年功序列を廃止し成果主義を取り入れるなどの変化も見られました。
ただし、年功序列というのは本来、新人を雇用するために初任給を抑え、経験に応じて徐々に昇給させて帳尻を合わせるという、長期雇用とセットになった建前だったはず。新人も経験者も、給与計算としてのベースは同じにすべきですが、実態はいかがでしょう?
ブラックな職場の掲示物として、一部界隈では著名な「できない病にかかってない?」
- 人がいないからできない
- 設備や商品がないからできない
- 予算がないからできない
- 時間がないからできない
その後に続く『「どうすればできるのか?」知恵を出すのがあなたの仕事!』という無茶苦茶なフレーズですが、知恵を出して生み出した産物すら、「やって当たり前」として扱われ、「従業員の知恵は雇用主の物」というのも常態化しているのでは?
他方では、タックスヘイブンを利用して租税を回避したり、NPOや慈善団体への寄付を通じて節税を行うなど、富裕層の理財行為はますます巧妙化しています。すでに豊かな人とそうでない人の格差は広がり、格差が少なかったはずの日本でも、「一億総中流」と呼ばれて経済成長に勢いがあった頃よりも格差は開き、その格差は固定化や再生産が続いているという印象を受けます。
溜め込むだけ溜め込んでおいて、ピラミッド型のヒエラルキーを築いたまま再分配をしない。
下々に十分な富や機会を与えないのであれば、組織も国家もやがて衰退する。
これは、ダロン・アセモグルらが『国家はなぜ衰退するのか』で指摘している、「公理」に近い「当たり前」です。
これでは、先進各国で少子化が進むのも無理はありません。
経世済民、つまり「経済」の「基本」や「当たり前」に背を向けて、「理財」に走っているのだから。
第二次トランプ政権となり、移民排斥や関税引き上げによって、製造業を米国内へ引き戻そうとする思惑や動きに対して、「今更、立ち行くはずがない」という声も散見されます。それでもアメリカ国民は「前よりマシだ」と民主党政権ではなく、ドナルド・トランプを選択しました。
日本でも人手不足が叫ばれて久しいですが、出すべきものを出さず、「当たり前」を踏襲せずに高い要求ばかりを突きつけるのであれば、人が集まらないのも当然でしょう。
リベラルやエスタブリッシュメントといった層が、彼らに都合のいい無理を正当化して捻じ曲げてきた「普通」や「当たり前」に対して、欧米諸国の庶民は回帰し始めています。
持続しない無理を是正し、本来の持続可能な、無理なく続けられる取り組みを再構築しようとしているだけなのに、肝心の「SDGs」は斜め上の方向へ進んでいるので、そこに対してもアレルギー反応が強まっているというのが、今の実態でしょう。
当たり前は、地味かつ高コストで盲点
どうやら、国際的に見ても世間様の方が「基本」や「当たり前」から乖離して、当たり前を踏襲する方が少数派のようです。基本を忠実に守り、高い水準で実践することを「凡事徹底」などと言いますが、凡事はもはや平凡や一般ではなく、特別なものになりつつあるのかもしれません。
Webサイト制作の世界でも、特別な機能や演出を盛り込まず、一般的な要件を満たして作る場合であっても、費用が100万円を超えることも珍しくはなく、それが「特別に高い」とは言えません。同様に、SEOやマーケティング支援についても、月額で20万円とか30万円といった費用が発生したとして、それが即座に「ぼったくり」とは限りません。
なぜなら、1つの案件に対して、最低でも1人月は工数がかかりますし、Webサイトを作るとなれば、2人や3人の人材が関わるケースも珍しくありません。そこに、事業者としてオフィスの家賃や設備投資、税金を賄うための利潤も合わせれば、「異常に高い」とは言えません。
むしろ、それを下回る場合、どこかで無理をしないと回らないのが実情です。
それにも関わらず、「ちょっと高いなぁ、まけてくれへん?」とか「営業になると思って、勉強してよ」と、値下げやサービスの上乗せを求められるケースも少なくありません。
確かに、顧客が投資した分に見合うリターンが得られるとは限りませんし、「効果を保証できるものではない」という点も否定できません。そうした要求に毅然とノーを突きつけたり、案件自体を断るという選択肢も、中々取りにくいのが実情です。結果として、無理を飲み込んで引き受けざるを得ないという下請け企業やフリーランスの方々も、多いのでは。
また、平凡で「安くない」Webサイトを作るぐらいなら、ノーコードツールやAIを使って「自分で作る」と言われてしまうことも。ショート動画や漫画でインパクトを狙ったり、LPと広告を駆使して華やかにローンチを仕掛けようという、派手で見返りも期待できそうな施策を求められることもしばしばです。
凡事徹底がバカにできないことや、「当たり前」や「基本」を忠実に、コツコツ積み上げる取り組みが最終的には効果を上げる、それが真理であり、公理であり、ほぼ「正解」であることは誰しも頭では分かっている。
それにも関わらず、地味で時間もコストもかかる取り組みに手をつけようとは、なかなかなりません。ましてや、積極的に評価しようという気には、もっと起こらないでしょう。
だからこそ、「基本」や「当たり前」はますます誰も見ていない「盲点」となり、凡事徹底は想像以上に大きな参入障壁となっています。それはまるで、巨大ターミナル駅の目の前にありながら、再利用のハードルの高さや難工事が予想され、「大阪最後の一等地」と呼ばれ続けたかつての北ヤードのように。
目の前にあるのに、見えていない。誰にでも手を出せるのに、誰も入ってこようとしない不思議な一角。気づかれないまま放置されている、隠れた一等地となっています。
時代に合わせて普通にやる。周りは意外とやってない
派手なことも、特別なことも要りません。
時代が変わっても普遍的に必要とされていることを踏襲し、あとは今の時代に合わせて必要なことへ淡々と対応するだけで、指名検索にしっかり対応するレベルには達します。
例えば、かつてのホームページビルダーなどで多用されていたtableタグを使ったレイアウトや、フレーム分割を辞めて、HTMLとCSSに分離する。あるいは、長年使われてきたjQueryを卒業して、Vanilla JSをES modules(.mjsや.cjs)で書き直してみる。
HTML5で導入されたセマンティックなタグを駆使して、divやspanだらけのHTMLを、headerやfooter、mainなどで整理するだけでも十分です。
HTMLタグを適切に選ぶことはもちろん、ユーザビリティやアクセシビリティの観点でそれだけで不十分な場合は、WAI-ARIA属性やRole属性を活用した調整も有効です。スクリーンリーダーに向けて、画像のAlt属性やリンクのtitle、.sr-onlyクラスを使った読み上げ用のテキスト実装も、効果的。
そこに、今の時代ならモバイルやタブレットといった多端末対応、縦向きや横向きといった両レイアウトを意識したレスポンシブ設計も加わります。
画像内テキストの解像度や可読性への配慮、表示速度を意識した画像の最適化やブラウザレンダリングに対する意識、視覚的なコントラスト調整、ダークモードへの対応なども考えられるでしょう。
SNSでのシェアを意識したOGPの設定に、JSON-LDを駆使した構造化マークアップ、プライバシーポリシーのの整備や、アクセス解析ツールに関するオプトアウト手順の提示など、ユーザーの権利に配慮した対応も、忘れないようにしたいですね。
これらは、どんな業界でも有効な施策であり、「当たり前」の取り組みです。
おまけに、一見高く思えたとしても派手な施策よりコストを抑えやすく、予算管理も容易な上に、自己完結可能な要素でもあり、誰がどうかを考慮する必要は一切ありません。
しかしながら、周囲の状況を鑑みるに、業界大手企業のWebサイトや、IT企業、スタートアップを掲げる新進気鋭の事業者ですら、十分に対応していないところが多い印象です。
ポータルサイトとして老舗のYahoo!ジャパンや、オンライン上のドン・キホーテみたいな陳列である楽天市場といったUIを鑑みても、ユーザーの使い勝手を考慮した更新はなされていない、雑多な方が反応がいいんだという理由でそのままになっているところが沢山あります。
主要機能が残念なままの大規模通販サイトや、古いままの口コミ投稿サイト、Faviconすら未設定のところや、OGPでのシェアを考慮していないWebサイトも少なくありません。ダークモードなんて、SNSかブログサイト、一部のメディアサイトでしか見ないでしょう。
すぐに実装することは難しい要素もありますが、本気で投資すれば実現可能な企業でさえ、まともに手をつけていないのが実情です。それだけ「当たり前」であり「基本」とされる取り組みが、後回しになっています。だからこそ、今のうちに「凡事徹底」で質の高い「イマドキの当たり前」に対応しておけば、それだけで十分な競争優位性を獲得できるはず。
作り手の肌感覚としては、十年一昔どころか、二年一昔。最近では、半年前でも「ずいぶん遠くまで来たな」と感じるくらい、流れの速い業界です。ちょっとでも「古いかも」と思われたら、なるべく早めに手を打つことをオススメします。
評価されないし地味だけど、一つの到達点でもある
目の前に三菱鉛筆の「ジェットストリーム」やトンボ社の鉛筆「8900」と、パーカーやモンブランのような高級筆記具が並んでいたとして、多くの人の目を引くのは、恐らく後者のブランド品でしょう。でも、それらと比較して「ジェットストリーム」や「8900」が筆記具として劣っているとは限りません。
むしろ、「ジェットストリーム」や「8900」は「凡事徹底」を貫いて突き詰めたからこそ辿り着いた、究極の「当たり前」です。ジェットストリームは文房具ファンに何度も支持されてきた殿堂入りの一本。
「8900」も、何十年と愛されてきたロングセラーで、ジェットストリームと並んで同ジャンルの顔と言っても良いでしょう。
また、日本人としては意識しにくい点ですが、公共交通機関が時間通りに来ること、水道水がそのまま飲めること、公共のトイレが清潔であること、さらには、女性が夜に一人で出歩いても比較的安全といわれることも、世界的に見れば「凄いこと」です。
あまりにも当たり前すぎて、評価することも意識することもありません。
でもそれは、持ち出すことも再現することも難しく、お金には代え難い存在です。一度失われてしまえば、そう簡単には取り戻せません。
地方で鉄道やバス路線が赤字を理由に廃止され、「インフラがなくなった」と住民が困っていても、都心部の人々にはその切実さは伝わらないでしょう。なくなってから気がついても、時すでに遅し。先人たちの投資や、それを継続するために払い続けたコストに想いを馳せ、「偉大だったんだな」と物思いに耽るのが、関の山です。
「当たり前」とか「基本」をやるのは簡単じゃないし、安くもありません。だからといって、必要なコストを払わずに迂回して、長続きしない仕組みで無理を選びますか? 世界が緩やかに保守回帰へと動き始めている、このタイミングで?
もう答えは、お分かりでしょう。
「必要十分」と「物理で殴る」
周りがお手軽な安さで奇策や奇抜な企画で勝負してくるなら、こちらは差別化して、あえて「当たり前」や「基本」に立ち返って、「凡事徹底」で勝負する。すぐに役立つ応用や、大きな効果を上げる必殺技めいた仕掛けも魅力的ですが、流行り廃りに振り回されますし、費用がかかる割に、再現性が低いこと、有効な業界や商材が限定的な可能性も秘めています。
「当たり前」や「基本」は、役に立つまで時間がかかりますが、その分時代を問わず、また業界を問わずに有効な真理や公理です。仕込みに時間がかかるけど、いつでも機能するという点では、「レベルを上げて物理で殴る」にも似ているかもしれません。
レベル上げは面倒だし、地味な繰り返しは苦痛でコストもバカにならない。だから、途中で匙を投げやすい。三日坊主を回避して、コツコツ継続できれば、それだけ強力な武器へと変化します。
当たり前とされること、基本に対して「必要」なことをやる。足りていないなら「十分」なだけ満たす。
必要十分に凡事徹底し、レベルを上げて物理で殴る。先の見通しが立たない時代で、当たり前や基本が迷走している今だからこそ、あえて基本へ立ち返る。
行きて帰りし冒険者には、余計な冠も吟遊詩人も要りません。ただ吶々と冒険譚を綴りましょう。
最初のハードルをグッと下げました
「当たり前」をやろうとすると、どうしてもそれなりのコストがかかります。
そこを無理に引き下げても、どこかで道理が合わなくなる。それは間違いない事実です。
だからこそ、最初の一歩だけでも踏み出しやすいよう、ネックとなる費用をグッと引き下げました。
従来の制作方法ではどうしても高額になりがちですが、月額制のスタイルへ切り替え、作って終わりにするのではなく、パターンオーダーからスタートしてブラッシュアップすることにより、工数の削減と費用対効果の両立を目指しました。
サーバ代も制作費も全て込みで月額1万円。
「費用がネックになって始められない」という方にお試しいただきたいと考えています。
派手な仕掛けや見栄え重視のクリエイティブは困難だったり、「なんでもやって」にはお応えできなかったりと、できないことも多いですが、その分、基本をしっかり抑えた「間違いない仕事」をお届けします。
丸投げでOKなBBNと、月額制のWeb制作やWebマーケティングに、取り組んでみませんか?
少しでも気になった方は、ぜひ気軽にご相談ください。
「話だけでも聞いてみたい」というお問い合わせも大歓迎です。