幸運と必然のあいだ

長谷川 雄治
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年始はどうしても験を担いだり、縁起を気にしたりするところから、運気の話を色々繰り広げてみました。まだお正月気分も残ると思うので、中身があるのかないのかよく分からないお話。暇つぶしのお供にでもなれば幸いです。

2025年が始まって早8日。昨日は七草を済ませ、公立小中高の三学期もそろそろ始まる頃でしょうか。
初詣ももうお済みですか? おみくじも引かれましたか?
筆者は今週金曜日の十日戎でおみくじを引くので、それまではお預けです。

おみくじだけでなく、「今年の運気」になんとなく目が向いてしまうのも、今の時期ならではですね。
伝統的なお節料理や行事の一つ一つで縁起や験を担いだり、テレビ番組や映画で笑って少しでも福を引き寄せようとするのも、年末年始にありがちな光景じゃないでしょうか。

今年がどんな一年になるか、まだ見通しも何も立たない時期だからこそ、頼りにするのは暦、運気になるんでしょうね。何となく「運」や「験担ぎ」が気になるこのタイミングで、運気にまつわるお話でもしてみましょうか。

どんな着地になるかは運次第?
「神はサイコロを振らない」かもしれませんが、「賽は投げられた」ということで、本題へ入っていきましょう。

目次

「運も実力」かつ比重大

「運も実力のうち」なんて、わざわざ述べなくてもご存知でしょう。
ID野球で著名な野村克也氏の言葉、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」があるように、その「不思議の勝ち」を引き寄せるのは「運」であり、「勝負は時の運」ということわざもあるように、勝敗を決める際に「運」が及ぼす影響というか、実力に対する重み、強さがいかに大きいか、年を重ねれば重ねるほど、身をもって体感している方も多いでしょう。

勝負事や賭け事に限らず、受験や面接、商談といった人生がかかった重要な場面から、SNSの発信に対する反応や、各種キャンペーンやマーケティング施策の成果といった日々の小さな局面まで、事前にとことん準備を積み重ね、実力を磨いて臨んでも、最終的に上手く行くかどうかは、実力とは無関係なところで決まってしまいます。「水物」の域を出ないのが現実であり、早々思い通りに行かないのが人生です。

必死にロジックを積み上げ、磨き上げた戦略を元に、「こうなるはず」(=それが必然だ)と目論んだとしても、運が悪ければ何にもならない。それまでの努力や実力を活かすのも殺すのも、最終的には「運」がカギを握っているとなれば、年の初めに運気を気にしたり、少しでも験を担げるように縁起の良いことを実践したり、「一日一善」で徳を積もうとしたりするのも、頷けます。

仕事を奪われるかもしれないレベルの生成AIが登場するなど、IT化が進んだ昨今ですが、それでも神社やお寺に寄進したり、お祭りに出資したり、神仏に頼る経営者や、縁起を気にする商売人がほとんどでしょう。「日本人は無宗教」とよく言われますが、信心深さは世界トップクラスじゃないでしょうか。

運気の予報が暦

勝負事や人生の様々な局面で影響が大きい「運」が、今どうなっているのか、今後どうなっていくのか、知りたいですよね? 特に、生死をかけた戦乱の時代、自ら戦いに赴くとなれば、より一層気になることでしょう。

その行く末を占い、見通しを立てるのが星読みであり、巫女や陰陽師、軍師の大事な役割でした。
星の運行や雲行きを見て天候を予測するのと同様に、自然や運気がどう変化するのかを見極めるのが「暦」です。ただのカレンダー、年月日を順番に並べただけでなく、月齢や季節の移り変わりも加味して、その日やその月、その年の吉凶を予測するための重要なツールとなっています。

気温や気圧、天候が戦局や生活に大きな影響を与えるように、運気やその流れもまた、我々に大きな影響を及ぼします。何故なら我々人間は、宇宙や地球、土地や大気の影響を受けながら社会を形成し、日々の生活を営んでいるからです。自分一人でその日、自由に使える8時間程度の時間でできることには限度があり、その影響力は全体に対して微々たるものに過ぎません。

一人の力では抵抗することもままならない大きな力、強大なトレンドを把握し、上手く活かすために暦があるといっても良いでしょう。だから、暦が間違っていたり、ズレてしまうと大事になってしまうという様子が、『天地明察』(冲方丁著 角川書店)で描かれています。

二世安井算哲、つまり渋川春海が、中国の暦を日本に合わせて計算し直し、日本初の国産暦である貞享暦を採用させるために奔走していた様は、暦の正確さが国家にとっていかに重要かを物語っていますね。

ちなみに、2025年は巳年の中でも乙巳(きのとみ)。
個人的な好みの話ですが、歴史的な出来事を指す場合は乙巳(いっし)と音読みでも良いと思いますが、それ以外の場合は訓読みが適切だと考えています。

例えば乙(きのと)の場合、「木の弟」=木性の陰で「きのと」となり、その前の甲(きのえ)は「木の兄」=木性の陽、乙の次の丙(ひのえ)は「火の兄」(=火性の陽)といったように、陰陽五行の変遷や意味合いが、耳で聞いて掴みやすいからです。

音でニュアンスや意味合いが何となくでも分かるというのが日本語の良いところなので、極力訓読みにすることをお勧めします。万葉仮名のような仮借の表記を音読みしても、文字を確かめないと意味が分からないケースが多いので……。

どう書いたかを重視する近年ではピンとこない価値観かもしれませんが、かつては表記より音を重視する、言霊の文化だったことがこんなところからもよく分かりますね。
(マメマメしくで黒豆を食べたり、「マをメっする」で節分に豆を撒くのも同じ現象?)

「宝くじを買わない」明石家さんま

「運」の話をする上で、避けたくないトピックが偉大なお笑いビッグ3の一人、明石家さんまさんのエピソード。明確に一次情報やソースを見つけられないため伝聞ですが、「仕事以外で運を使いたくないから」という理由で宝くじを買わないという話が広く知られています。(参考: 「宝くじを買わない明石家さんまhttps://hikawachuo.sakura.ne.jp/monologues/talk/167/#:~:text=%E5%AE%9D%E3%81%8F%E3%81%98%E3%82%92%E8%B2%B7%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%AE%B6%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE&text=%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8B%E4%BB%95%E4%BA%8B%E4%BB%A5%E5%A4%96%E3%81%A7,%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%A4%9A%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82)

宝くじで「一攫千金の夢をみたい」と思う方もいらっしゃると思いますが、やっぱり自分で「ここぞ」と思うタイミング、「こうしたい」と思う状況以外では不用意に運を使いたくないのでしょう。その気持ち、考え方はよく分かります。

運は常に変化するものであり、同時にツキもいつまでも続かず、良いことが続きすぎると逆に悪いことが起こるのではと不安になるのも、一般的な感覚でしょう。「チャンスの女神は前髪しかない」とも言いますが、調子に乗り過ぎると痛い目を見てしまうのも、おとぎ話が教えてくれる教訓です。

宝くじを「買わなければ、チャンスはない」という意見もよく分かりますし、賭け事や公営ギャンブルも「勝負勘を磨くには必要」というのも分かりますが、本当に成し遂げたいことを考えた場合、自分の大切な「運」をそこに使っても良いのかどうかは、よくよく考えた方がいいと思いませんか?

運も貴重な資源。使い方が肝心

運気には、暦や一年単位、月ごとといった大きな潮流があり、「運気が向いてきた」と背中に追い風を受けるような感覚もありますが、同時に「使えば減る」感覚もどこかにありませんか?

目には見えないけれども、確かにそこにあるような気がして、運を使ったなと感じた後や良いことがあった場合、神社やお寺にお礼参りをしたり、「しばらくは徳を積む」と「運」が貯まるように良いことをしようと張り切ったりすることはないでしょうか。

「宝くじを買わない」エピソードにも通じますが、運も限りある一つの資源であり、ある種のリソースであるという感覚をお持ちの方も少なくないでしょう。リソースであるならば、避けた方が良いのは浪費や逐次投入。主体的かつ計画的な運用、投資が重要と言えます。

ただし、時間と同様に目に見えない資源であり、お金やモノのような貯蓄には向かない、不定形で流動的な性質を持っています。気を抜いていると、蛇口を開けっぱなしにした水道のように、いつの間にか流れ出てしまう印象もあります。

意識的に節約しないと「いつの間にか無くなっている」のは、時間と同じでしょう。
ダラダラと垂れ流さず、主体的に「運」を使っていくためには、「運」を使わなくてもいい仕組みや習慣化、ロジックを活用するのも一つの方法です。

最も手っ取り早いのは、外部の影響をほとんど気にしなくてもいい、自己完結可能なものにまずは向き合うこと。つまり、「関心の輪」ではなく、「影響の輪」に集中するのが良いでしょう。また、雨が降っても自分の責任、電車の遅延で遅刻しても自分の責任と考え、何があっても自分に原因があると捉えた上で、創意工夫を凝らすことをオススメします。

自分がイニシアチブを取れない、もしくは外部の影響が大きく、運が絡みやすい要素は、「攻撃」や「攻め」に分類されるものが多いです。その一方、スポーツなら「守備」、特に基礎的な動作の部分。将棋やチェス、囲碁などのボードゲームの場合は、定石や駒組といったせめぎ合いが始まる前といった「守り」の部分は、自分の実力やこれまでの経験を活かしやすい傾向にあります。まずは、攻めることよりも守りや守備を磨くことに注力するのが良いでしょう。

マーケティングでも、大きな予算をかけて「当たれば大きい」施策を優先すると、「外れれば致命傷」になるので、「運」や「トレンド」の影響を受けにくい地味で目立たない施策、どこでもやっている基本的な施策から、手をつけましょう。誰でもできること、どこでもやっていること=「凡事」を徹底することで、いつの間にか「攻め」にも通じる「守り」や強みへと変化していくでしょう。

当たり前、つまり必然の質を高めておけば、「運」に頼らなくても実力で勝てるようになりますし、「いつも通り」で準備を整えていれば、チャンスの女神が急に現れても、迷わずその前髪を掴むことができます。

運を効果的に運用し、幸運を確実に掴みたいなら、まずは運に頼らない「必然」を高めることが得策。
運は肝心なところでドカンと使えるように、日々の努力に勤しみましょう。

幸運も日々の努力も活かしたい

年始から験を担ぎ、縁起が良くなるように過ごされ、今年の運気を少しでも良いことに注いでいただけるように、BBNでは幸運も必然も活かせるWeb制作、Webマーケティングをご提案しています。

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必然を活かすための地味な「ケ」のマーケティングについて、簡単に語っています。

ケ 地味マーケティングのすゝめ

他のメディアで「ケ」の話を取り上げて、オウンドメディアでも語ったつもりになっていましたが、こちらをよくよく調べてみると発信し忘れ、ネタとして取り置いたままになっていたことに気がつきました。
個人的には今更な気もするコンテンツですが、この機会に改めて解説してみます。
長谷川 雄治
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長谷川 雄治
昭和63年生まれ。大阪電気通信大学 総合情報学部 デジタルゲーム学科卒。
2011年からWeb制作に従事。コーディングやWordPressのカスタマイズ等を主に経験を積む。2013年、仮面ライターとして独立開業。マーケティングや企画、上流も下流も幅広く対応。
コーディングとコンテンツ制作の同時提供を考えるヘンな人。
BLUE B NOSEでは開発等を担当。

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