数寄なだけ傾奇けば、日はまた昇る

長谷川 雄治
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また、読み方がややこしいタイトルの記事ですが、ビル・ゲイツのインタビュー動画や、その翻訳をキッカケに「おや?」と思ったことを、まとめてみました。
BLUE B NOSE(以下:BBN)なりに思う、日本に強みや目指すべき方向についても、偏見たっぷりにお伝えします。

今年の3月20日に実施されたExpress Addaで、ビル・ゲイツのインタビューが実施されました。
https://www.youtube.com/watch?v=Iq1yfTbrWyw

彼はそこで、「私たちは『仕事をするために生まれてきた』わけではない」と語ったとか。
https://x.com/Tsubame33785667/status/1906888450047103158

ビル・ゲイツと言えば、IT関連の事業家としてもトップクラスに位置付けられる大富豪であり、成功者の一人です。そんな人物ですら、どうやら「労働は苦役である」という価値観に囚われているようです。私はこれを聞いた瞬間、「日本はまだまだ戦える」と思いました。欧米諸国がキリスト教的な、創世記における「労働は罰」という思想に囚われている間は、日本に追いつく余地はない、と。

ビル・ゲイツは更に、「仕事というものは、欠乏が存在するからこそ生まれ、AIの発達により『欠乏のない世界』や『欠乏』を前提とした世界の捉え方自体が、これからは通用しなくなる」(筆者による要約)とも語っています。

ビル・ゲイツの未来予測は流石で、確かにその通りだなと思います。その認識のままでは、AIとの共存や、次の社会にどう向き合うべきかという本質的な問いがズレてしまうのではないか、とも考えています。

今回は、日本独特の価値観や、そこから見えて来そうなヒントについて、語ってみましょう。

目次

やらされている人は、少ない

近年、インバウンド旅行者や海外出身で日本に住む方が増え、日本と海外、特に欧米諸国との違いに触れる機会が増えて来ました。YoutubeやSNSでも「ここが違う」とか「日本のサービスが凄い」といった比較コンテンツもよく見かけます。

そうしたコンテンツを信用するのなら、勤務中の姿勢に大きな差があるように感じます。
日本ではどんなに低賃金の労働であっても、「イヤイヤやっている」という態度は表に出さず、いつでもホスピタリティを発揮して仕事と向き合っている印象があります。その一方で、欧米、特にアメリカではチップ文化があるにもかかわらず、サービス業でも「やる気のなさ」が目に見えることが多いようです。「タイムカードを切ったらおしまい」というドライな働き方が一般的な様子。

もちろん日本にも、「やらされている」人はいます。できれば働きたくない、給料分の仕事しかしたくないという人もいますが、そうした態度は長続きしません。いつまでも「やらされている」態度を取っている人は解雇されるか、本人から「やっぱり、辞めます」と去って行きます。
結果的に、「自発的に仕事に向き合う人」が残りやすい構造です。

だから、外から見ると、どんな仕事であっても「誇りを持って働いている」ように見えたり、「使命感を感じる」ように見えるのでしょう。

「どうせやるのなら前向きに」というのが、日本人の労働観として根付いているように思います。

つまり、根本的に労働が苦役であるとは思っていません。
賃金を得るための奉仕で、「面倒くさい」とかプライベートを優先して「休みたい」と思うことは当然あります。しかし、長く続けられる仕事にはどこかに「やりがい」や「生きがい」、「楽しさ」を感じられる、社会的な契約や約束です。

自然災害が多い国で、万が一の際に助け合おうと思えるか、信用に値すると思えるかどうかにも、直接結びついているような気がします。働いている姿を見れば、どんな人間かが大体分かりますからね。本当に困った時に協力し合えるか、役立つかどうかも、普段の仕事への姿勢から見えてしまいます。

いつまでも文句を言ってる奴や、指示待ちで「やらされている」態度を改めない人間は、日本の社会では生きにくいというのも、あるかもしれませんね。

予定説より、一日一善

「労働は罰」という価値観と同様に、カルヴァン派のような予定説も、日本には根付いていない印象です。それよりは、「一日一善」や「徳行」によって自らを高めたり、子々孫々の繁栄を願うという仏教や神道的な態度の方が、日本としては一般的でしょう。

日々の行いを通して、死後の世界で少しでも良い扱いを受けようとしたり、誰もやりたがらないことを積極的にやれば、その分幸運が巡ってくるんじゃないかと期待したり、どこで何をやっていても、「天網恢恢疎にして漏らさず」で「お天道様が見ている」と思って、良い行いには良い行い、悪い行いには悪い行いが「情けは人のためならず」で返ってくると考えるのは、日本人としてそんなに違和感はないはず。

つまり、日々の行いという自主的な行為が、自らの行く末や運命を左右すると考えているからこそ、日本人は「できるだけ善いこと」を行おうとします。その「善いこと」に「勤労」や「奉仕」も含まれているので、「イヤイヤやらされる」では効果が薄いというか、その価値や意味が失われてしまいます。

マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で語られていることとも一致するはずですが、元々WASPの国として誕生したアメリカで、そういった勤労観があまり根付いていないように見えるのは、逆に不思議でもありますね。

道楽や修行も兼ねている

全ての日本人がそうだとは言いませんが、自分の人生を、自分たちなりに武道や茶華道的な「道」と捉え、その楽しみや追究する対象として、仕事を位置付けている人も少なくありません。仕事が100%を占めていることもありますし、50%以下の割合で、部分的に仕事で培ったことも含まれるという場合もあるでしょう。

自らの楽しみとして、完全な道楽として仕事に打ち込んでいる人もいます。
苦しみながらも追求をやめられない、求道者のような姿勢で向き合っている人もいます。
ただ淡々と、日々の修行の一環として真摯に取り組んでいる人も、数えきれないほど存在します。

共通して言えるのは、「内発的な動機づけ」によって突き動かされているということ。もちろん仕事なので、生活のために外付けの動機として「報酬」は必要ですが、「やりたいからやっている」と採算度外視の人もいらっしゃいます。

お金を目的に働くことを否定するつもりはありませんが、寝ても覚めても忘れられず、「三度の飯より仕事が好き」と心から思っている人と勝負して、勝てるとは思えません。やはり、「好きこそモノの上手なれ」。好きを原動力にしている人には、敵いません。

「そんなことない」と否定する方もいらっしゃるかもしれません。
でも、職場や仕事に対して多少なりとも「好き」や「愛着」がなければ、なかなか続かないでしょう。
仕事そのものが面白かったり、上司や同僚との人間関係が良好だったり、職場の居心地が良かったりするから、「面倒だな」と思っても働ける。

目を輝かせて、目の前の仕事に熱心に取り組む人は世界中どこにでもいるので、この感覚は日本だけに限った話ではなく、洋の東西を問わずに共通する部分でしょう。

それでも、役所広司が主演を務めたヴィム・ヴェンダース監督の映画『PERFECT DAYS』に象徴されるように、日本の「働く姿」や「単純労働」をめぐる西洋との価値観や感覚のズレについては、議論の余地が残されています。

同作品では、公衆トイレを清掃する中年男性の、静かな日常と労働の美しさ、慎ましい生活が抑制的に描かれており、高評価を受けています。しかし一方では、以下のような批判も出ています。

  • 単純労働を美化しすぎる傾向がある
  • 本作が映しているものは日本の労働環境を無視した上で日本の平穏さを美化する「西洋人や男性の夢」である
  • 本作を素晴らしいと思う感性の人たちはお金持ちで、自身のタイムスケジュールから逃れたいと思っている人ではないか

(Wikipedia『PERFECT DAYS』 https://ja.wikipedia.org/wiki/PERFECT_DAYS#%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%83%BB%E5%8F%97%E5%AE%B9 より引用)

このような批判が出ている時点で、労働に対する根本的な価値観や感覚のズレについては、まだ埋まっていないと言えそうです。

保管庫かつオタクの国

日本はシルクロードの終点に位置する島国です。また中華文明をはじめとしたアジアの影響を受けながらも、海に囲まれていたおかげで、外から色んなものが流れ着くことはあっても、大陸の騒乱から距離を保ちつつ、独自の安定した文化を築いてきました。

その結果として、西洋のものも東洋のものも、自国では既に廃れた文化や価値観が、日本ではしっかりと保存され、逆に花開いているという減少もよく見られます。誰かがこれを「保管庫(リポジトリ)」と表現していて、なるほどなと思いつつ、エンジニア視点だとつい別のイメージも想起してしまいますね。

島国という地理的特性もあり、日本は大陸と比較して湿気が多く、腐敗しやすい環境にあります。それにも関わらず、古くから学者でもない庶民の間にもメモ魔や日記魔が多く、1000年以上も前から桜の開花記録や地震に関する詳細な記述が残されています。

それらを実際に見聞きしたイザベラ・バードやレヴィ=ストロースによって、「他と比べるものがない」と表現されています。

また、漫画やアニメ、ビデオゲームといった分野で、オタクにおける国際的な聖地であると言っても、異論は少ないと思いますが、それだけに留まらず、食や建築、土木や工業など、ほぼ全ての分野に「オタク」と呼べる求道者や数寄者が存在するというのも、日本の特徴です。

種子島へ鉄砲が伝来した際には、たった数年で世界有数の銃保有国となり、持ち込まれた鉄砲の不備を見つけて、逆に改良してしまうのも、好奇心の強さや職人気質の表れと言えます。
猛毒のフグは「毒を避けて食べる」という、執念とも言える調理法を編み出しました。フランスでは絶滅してしまったラ・フランスを丁寧に栽培して、存続させています。汁物の一種でしかなかったラーメンやその他中国料理に至っては、本家を超える勢いで「中華料理」として独自に発展拡大させ、世界に輸出しています。

とことん追求したがる職人気質や求道精神が、本国を超える技術や革新に繋がっています。守破離を経て斬新なものを生み出してしまうからこそ、ミシュランガイドでも多数の日本の店が星を獲得するに至っています。

これらは「欠乏が存在するから」生まれたモノでしょうか。
「労働は苦役」であり、「『仕事をするために生まれてきた』わけではない」という発想から生まれるものでしょうか?

仮に『欠乏のない世界』が実現したとしても、「好きだから」やっている人たちや、自分のための修行として取り組んでいる人たちは、それまでと変わらずに、自分のやりたいこと、なすべきことに取り組むはずです。

これは、AIが発達した世界であっても、十分に武器となる在り方です。

ちなみにビル・ゲイツは、何かを発明した技術者というイメージを持たれがちですが、実際には「0から1を生みだした」発明家というよりは、「1を100」にした商売人としての側面が強い人物です。

マウスでコンピューターを操作するGUIが「Macintosh」で実用化されなければ、現在のWindowsはなかったかもしれません。Webブラウザとして先行していた「Netscape」がなければ、後発のInternet Explorerが覇権を握ることも難しかったでしょう。

つまり彼は、他社のアイディアや技術を見抜き、それを取り入れてビジネスとして成功させる力に長けた、目利きの商売人だったという見方もできます。

もしかすると彼自身、「とことん追求して何かを生み出す喜び」や「修行のように道を極める快感」とは無縁で、そもそも分かっていないのかもしれません。

ブルシット・ジョブのない、道楽の世界

どう見ても余計なコストや時間給を発生させるためだけに、過度に複雑化した手続き。
あるいは顧客の無茶振りにも答えて時間を費やしたので「頑張ったでしょう」とアピールするための営業活動。表計算ソフトで正確に処理しても、「手を抜いている」と電卓で検算させるような、非効率的で生産性のない、多種多様なブルシット・ジョブ。

ビル・ゲイツの「私たちは仕事をするために生まれてきたわけではない」という言葉が、ブルシット・ジョブに向けられたものであるなら、私は大いに賛同します。ペーパーワークや額に汗をかいたフリだけで生計を立てるようなテクノクラートや高等遊民、お受験エリートを食わせるための仕事なら、AIの力でどんどん『欠乏』させてもらって構いません。

しかしながら、昨今は人が喜んで夢中になりそうな、創造的で繊細なクリエイティブの仕事にまで、理解の浅い外部からの介入が増えてきているように感じます。ただ、そこを現在のAIに任せたところで、雰囲気の再現やモノマネ、「それっぽいもの」を安価に大量に作れたとしても、オリジナリティや魂までは込められません。

素人目には完成度が高そうに見えても、ディープなオタクや職人を満足させるクオリティではなく、「まだまだ」とすぐに見抜かれてしまいます。

やはり、その世界が「好きで好きで仕方がない」人によって、同胞たちが喜んでくれそうなポイントも抑えつつ、まだ誰も見たことがない表現を提示してくれる方が、人にとっても、AIにとっても、社会にとってもよっぽど意味があることだと私は考えます。

「『欠乏』を前提とした世界の捉え方自体が、これからは通用しなくなる」と突きつけるなら、それは「欠乏」によって管理と支配の構造を築いてきた官僚機構や、ナレッジやポジションを盾にして高コストで動いている高学歴エリートに向けるべきでしょう。

何かに熱中して、日々の仕事を楽しんでいる人たちに向ける言葉ではありません。

「『仕事をするために生まれてきた』わけではない」とブツクサ言いながら、結局はお金のために働き、かき集めたお金にしがみつくだけの人を、日本では「お金持ち」と呼びますが、そこに尊敬はあまり伴いません。

ただお金を持っているのではなく、それをどう得て、何に使うか。お金という道具を通じて、世のため、人のために何をするか。その徳の高さや、行動を伴う人こそが、真に尊敬される「長者」と呼ばれます。そうでなければ、ただの吝嗇家、ケチと同じです。

もちろん生活のため、目先のお金のために働くことも大切です。でも、それだけではなく、「自分の内なる衝動」を否定せず、思い切って数寄なだけ、やりたいようにカブいてやりましょう。もっともっと、みんなで傾奇けば、日本はまだまだ面白くなるし、もっと成長できるはず。

AIと傾奇く、道を究める

心の底からやりたいことで、誰にも迷惑をかけないことであれば、誰でも何でも自由にやれる。そんな環境があるのは、実は世界中探しても日本だけかもしれません。

思想や信条を強要されることもなく、誰が何をやっていても基本的には干渉されない。「こうあるべき」といった社会的規範も、欧米諸国と比べれば実はかなり緩やかで、同性カップルが何気なく街を歩いても、誰にも咎められない。それも、日本の良いところなのだとか。

つまり、今までもこれからも、日本に求められているのは、対外的なホスピタリティや精神性の高さであると同時に、変態とも言えるレベルの突き抜け方、超弩級のオタク魂を持った求道者たちが、世界にとんでもない製品や作品を届けていくこと。

これからはAIも巻き込んで、人とAIが一緒に、好奇心というエンジンで変態性を加速させていく。過激に、ド派手に、自由に傾奇く。求道者として突き抜けていくことが、日本人の選ぶべき「道」だと考えています。

傾奇けば、日はまた昇る。
それが、生成AI時代の日本の在り方じゃないでしょうか。

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BBNとして何をやりたいのか、何を目指しているのかは、こちらの記事もご参照ください。

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長谷川 雄治
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長谷川 雄治
昭和63年生まれ。大阪電気通信大学 総合情報学部 デジタルゲーム学科卒。
2011年からWeb制作に従事。コーディングやWordPressのカスタマイズ等を主に経験を積む。2013年、仮面ライターとして独立開業。マーケティングや企画、上流も下流も幅広く対応。
コーディングとコンテンツ制作の同時提供を考えるヘンな人。
BLUE B NOSEでは開発等を担当。

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