時間と繰り返しには逆らえない

長谷川 雄治
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月額制のモデルだから、時間をかける方法を選んでいるのではなく、時間をかけないとできないことがあるから、月額制のモデルを採用しているBLUE B NOSEですが、時間や繰り返しの作用や効能について、まだきちんと説明していませんでした。
折に触れて解説してきた気もする時間や繰り返しについて、改めてお伝えします。

時間をかけてWebサイトをブラッシュアップする、月額制のモデルを採用しているBLUE B NOSE(以下:BBN)は、時間や繰り返しを味方につけることと、目立ちにくい地味な部分に力を注ぐことを大切にしています。その理由について、様々な記事、様々な切り口から解説していますが、この記事でもまた違う角度からお伝えします。

時間と繰り返しがいかに強大で、地味な部分や繰り返しをなぜ軽視してはならないのか。その理由を、再確認していきましょう。

目次

正しくないものは、時間の流れに打ち勝てない

いきなり「正しくないもの」と言われてもピンと来ないでしょう。まずは、アンバランスなもの、不安定なものを姿勢制御の観点から「正しくないもの」として思い浮かべてみてください。一級建築士や土木工事の専門家のような知識がなくても、一目見て「崩れそうだな」と思うものや構造的に無理がありそうなものが、未来永劫いつまでもその形を保てるでしょうか。

細心の注意を払って組み立てたトランプタワーや、薄いコインを縦に積み上げた場合など、瞬間的にバランスを取れていたとしても、風が吹いたり、土台であるテーブルなどを揺さぶれば、いつかは崩れるでしょう。構造計算が間違っていたり、設計通りの施工がなされていない、「正しくない」建造物が突然崩壊したり、橋や床が落ちてしまうという事例、事件も珍しくはありません。

さらに、学問の世界で永らく正しいと思われてきたことも、時代が進むにつれて真実が明らかになり、定説が書き換えられたり、新しい分野が花開くという事象も多々あります。かつては正しいと思われていた天動説は、ガリレオの死後に地動説が正しいと判明し、アルバート・アインシュタインによって唱えられた光量子仮がきっかけとなって広がった量子力学や、相対性理論の解釈、理解に対しては未だに新説や新たな発見による議論が繰り広げられています。

また、時間の流れという負荷は、長く残るものを無慈悲に選定します。骨や繊維といった硬いものや、貴金属、宝石といった性質が変化しにくいもの、安定しているものは残りやすく、内臓や筋肉などの柔らかい組織は分解され、変化しやすい物質はより安定する形、例えば古の動植物は石炭や石油、天然ガスへ姿を変え、鉄は空気中の酸素と結びついて錆びた状態、酸化鉄で準安定状態となっているのもよくご存知でしょう。ウランなどの放射性物質に半減期と呼ばれる期間が存在し、徐々に安定した状態へ変化するのも、似たような現象です。

不安定なものは安定を求めて変化し、貯蔵に向く形で保存される。エントロピー(≒乱雑さ)の増大に打ち勝つには、自分と周りの環境を含めて安定した形に収まる他ない。それが一つの真理、原理原則じゃないでしょうか。

物質的なものだけでなく、例えば生前は上手く隠し通した不正や失敗、不道徳な行いなども、時代が進むにつれて明るみに出る、というのも珍しくはないでしょう。人の噂も七十五日と言いますが、それはあくまでも事実無根、根も葉もない噂話だけであり、事実として存在するものであれば、どこかで露呈してしまう気がします。

いわば、天網恢恢疎にして漏らさず、「お天道様は見ている」という奴で、周囲の興味関心や嫉妬、嗜虐心からくる裏切りなどによって、嘘をでっち上げられたり窮地に追い込まれることもあります。いつどこでバレるか分からない、いつまで嘘を突き通せるか分からないといった不安感、自分や周りを騙す罪悪感も相まって、持ち前のパフォーマンスを発揮できないといった状況もあり得るでしょう。

また、当時はそうする他なかったとしても、「やってしまったこと」は未来永劫残っていきます。もちろん、今の物差しで当時の価値基準を推し図り、何が正しくて間違いなのかを判断するのは良くないですが、後の世で詳らかにされた時、「その時やったこと」で自分の価値を毀損することにならないか、後々恥ずかしい想いをすることがないかも、気をつけたいところですね。

近年はデジタルタトゥー等もあり、生きている間に一生の恥を負う可能性もありますし、用心するに越したことはありませんね。

繰り返しという選択圧も非常に強い

科学的にも倫理的にも正しくないことは長く残っていかないという、時間という選択圧は非常に強力ですが、「繰り返し」もかなり強い選択圧である、と考えています。

まず、「繰り返し」がもたらす基本的な圧力として、「複雑さ」を低減させる効果がある様に思います。「複雑さ」はある種の不安定要素とも言えるので、時間の選択圧により減っていく可能性も否定できませんが、構造の複雑さや手順、手続きの複雑さは、何度も何度も繰り返すうちに「面倒臭い」という心理的な負担や、「コスト」といった時間的な負担、経済的な負担に晒されることになります。

構造として複雑な物であれば、繰り返し使用されるうちに様々な箇所へ負荷がかかり、摩耗や損傷といったトラブルが発生します。例えば、一般的な三徳包丁やハサミ、組み替えが可能なマルチツールを比較する場合、シンプルに使用する時点でマルチツールには組み替えの負荷がかかり、ハサミの場合は接合部の緩みやサビ、摩耗の影響が出てきます。

また、構造が複雑で構成部品も複雑な場合、製造の観点からだんだん調達が容易なものに置き換えられたり、構造の簡易化も起こり得るでしょう。

手順や手続きが複雑なものはもっと単純に、ただただ面倒臭いという理由で、だんだん手をつけなくなるでしょう。手続きを簡略化したり、どうにか楽にできないか、やる気に頼らず継続する方法はないか、頭を捻ることもあります。

複雑なもの、面倒くさいものが残る理由があるとすれば、「そちらの方が仕上がりが良い」か、その面倒くさいはずの手順、手続きを楽しむ人がいる、趣味や道楽の余地がある、などでしょう。過程を楽しめる場合、追求する喜びがある場合は複雑、面倒でも構わないと言えます。

継続、続けるという観点でも、「繰り返し」は選択圧になり得ます。

例えば、「無理」や「頑張り」でなんとか成立しているものは永続的に続けることは困難ですし、複雑さを残したまま続けるのも大変です。複雑なものや手順が長いもの、手続きが厄介なものには途中で「難しさ」も介入するため、失敗やエラーにも繋がりやすいでしょう。

人体も複雑な構造物、コロニーの一つですが、古い細胞を作り替えるという恒常性、新陳代謝を発揮する時にも、黒子やシミといったエラーから、癌細胞といった深刻なミスを引き起こすこともあります。長く生きれば生きるほど、「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」ようなDNAの複製を誤りやすくなるようになっています。

楽なもの、構造も手順も手続きもシンプルなもの。何度も何度も繰り返せるのは、社会的にも身体的にも低コストなものが基本となります。逆に言えば、恒常性のような繰り返しを取り入れることで、長く続く可能性を獲得したり、「繰り返し」の選択圧を乗り越え、末長く生き残っていくための方策、道を見つけると言うことでもあります。

「繰り返し」の選択圧に対し、無理に抵抗しない、逆らわない。
繰り返しの観点を上手く取り入れることをオススメします。

行間、何気ない部分は容易に誤魔化せない

なんとか映えの時代で、コンテンツに注目が集まる時代でもありますが、目立つ部分だけ、後から加工して誤魔化せる部分だけに力を入れたところで、総合的な良し悪しは変わらないでしょう。見えにくい地味な部分、目立つ部分、書いてある部分の間にある行間、コンテンツの周囲にあるコンテキストの部分こそ、誤魔化せない良し悪しが顕著に現れると考えています。

例えばメディアや周囲の前評判が良い新規開店の飲食店へ赴いたとして、看板メニューは確かに目を引くものであっても、細かいサービスや店舗の雰囲気、無料で提供される水やお茶の温度や味、入店時や退店時の挨拶の有無など、肝心の料理以外の部分が気になって、マイナス査定をつけてしまった経験、二度といかないと後悔した経験はないでしょうか。

周囲や広告は持ち上げるけど、実際には大したことがないことが露呈する。それは主に、繰り返し磨かないと身につかない基礎的な部分であったり、日頃の取り組みが顕著に出る教育の部分だったり、流れの中で見えてしまう何気ない動きや表情、気配りだったりしませんか?

目立つ部分、目に見えやすい部分は加工や誤魔化し、修正を加えやすい時代ですが、目立ちにくい部分、目に見えにくい部分、「なんとなく」で感じ取ってしまう部分については、まだまだ誤魔化しきれません。

相手のセンスやリテラシーが高ければ高いほど、つまり良質な顧客である可能性が高い相手ほど、できていない部分、至らない部分を汲み取られてしまう。そうすると総合的な良し悪しも厳しい判定が下されてしまい、長く続かない、残っていかないことに繋がってしまいます。

目立つ部分だけではなく目立たない部分や地味な部分、行間や「図と地」の地の部分など、繰り返し訓練を積んで磨かないと良くならない部分、血の滲むような努力で高めた基礎、基本も大事な時代となりつつある。だからこそそこにも目を当てる、フォーカスするというのが我々のスタンスです。

類は友を呼び、与えたものが与えられる、という法則も

同質のものが引き寄せ合う、という法則があります。また、お金が欲しいならお金を投じ、情報が欲しいなら情報を投じるといった、与えたものが返ってくる、増えていくという法則、考え方もあります。

つまり、嘘やインチキ、誤魔化しを是としてしまうと、それらを好む人たち、同質の存在を誘き寄せてしまう可能性も秘めています。また、嘘やインチキ、誤魔化しによって作り上げた環境、寄りついてきた人たちで作る空間が居心地が良いコンフォートゾーンとなってしまうと、そこから中々抜け出せない、あまり良いとは言えない沼にハマり込んでしまう恐れもあります。

そういったものから距離を置き、心地よく事業展開をしたいなら、自分からあるべき姿、なりたい姿へ変わること。ここでどちらへ進むか迷ったら、時間の選択圧、繰り返しの選択圧を加味して、誤魔化しが効かない細部にも力を入れ続けられる方向を選ぶこと。

正しくないことは続かないし、残らない。集中して繰り返せないことは長続きしないし、無理してなんとか出来るレベル、目一杯やってなんとか成立するレベルであれば、いつまでも続きません。

無理せず、高い質を保って繰り返せること。快適に繰り返せるものは続けられるし、楽しんで続けられるものは必ず質が向上します。自分にとって正しいかどうか、あるいは相手や市場、社会にとって正しいかどうか、受け入れられるかどうかは時間が証明してくれます。

自信を持って繰り返し、時折、正しいかどうかを客観的に判断し、適宜修正を加えて更に鍛錬、自己研鑽を積み増して行く。ご自身の取り組み、考え方が正しいかどうか、時間をかけて取り組んでみてください。

時間も繰り返しも味方につけるWebサイト制作を目指して

Webサイト制作を通じてお客様の事業活動や成功に寄り添いたいBBNとして、「良い仕事」をしようと思うと、どうしても時間の流れや繰り返しに耐えうるものを探れるスタイルが必要でした。

従来の作り切り型の場合、作ってからが大事とは言いながら、どうしても制作した瞬間の価値がピークで、そこから鮮度が落ちると共に古くなっていく、経年劣化してしまうイメージでした。BBNは繰り返しによる複利効果、アウトプットによる複利効果と時間を味方につける方法を選びたくて、月額制のモデル、テーラーメードというかビスポーク風のアジャイル、積極的にユーザーの目にさらす公開型の運用改善を選択する形を選びました。

お客様にとってピッタリなモノを見極め、お客様の頭の中にある独自の考えを引き出し、ブラッシュアップするためにも時間の選択圧、繰り返しの選択圧をかける。それらを経て辿り着くもの、どこにもない新しいものを作り出したいと考えています。

まだまだ至らぬことばかりではありますが、時間も繰り返しも味方につけるWebサイト制作を目指して、BBNは今後も活動を続けて参る所存です。一味も二味も違う月額制Webサイト制作サービスBBNに少しでも興味を持たれた方は、ぜひお問い合わせください。

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BBNが何を考えてサービスに向き合っているのか、こちらの記事でも解説しています。もしよろしければ、ご一読ください。

時代を超えて愛されるWebサイトを目指して

「BLUE B NOSE」は時代を超えて愛されるWebサイトをお届けするために、月額制モデルを選択しました。OODAループやPDCAサイクル、データ・ドリブンに基づく継続的な改善を選んだ理由や、当サービスの目標、当サービスの特長を簡単にご紹介します。
長谷川 雄治
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長谷川 雄治
昭和63年生まれ。大阪電気通信大学 総合情報学部 デジタルゲーム学科卒。
2011年からWeb制作に従事。コーディングやWordPressのカスタマイズ等を主に経験を積む。2013年、仮面ライターとして独立開業。マーケティングや企画、上流も下流も幅広く対応。
コーディングとコンテンツ制作の同時提供を考えるヘンな人。
BLUE B NOSEでは開発等を担当。

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