ケ 地味マーケティングのすゝめ

長谷川 雄治
92回表示・読了見込 16

他のメディアで「ケ」の話を取り上げて、オウンドメディアでも語ったつもりになっていましたが、こちらをよくよく調べてみると発信し忘れ、ネタとして取り置いたままになっていたことに気がつきました。
個人的には今更な気もするコンテンツですが、この機会に改めて解説してみます。

先日、配信型メディア「theLetter」の記事(https://bluebnose.theletter.jp/posts/d2e0ba50-6f31-11ef-902f-37eecaa0b77d)内で「ケ」について少し触れましたが、肝心のオウンドメディアではまだ触れていなかったようです。今回は表題でもある「ケ」のマーケティングについて、改めて触れたいと思います。

BLUE B NOSE(以下:BBN)とは異なる筆者の個人事業「仮面ライター」で考案し、そちらでも採用、過去に何度か発信していたので、こちらでも語った気になっていましたが、BBNとしても大事な考え方なので改めて取り上げましょう。

目次

情報発信もマーケティングもディマンドサイド主導の時代

筆者がBBNとして活動する前に、個人事業「仮面ライター」として創業したのが2013年4月末。最初期のレスポンシブWebデザインやモバイルファーストが話題になっていた時期でしょうか。今が2024年の10月ですから、もうそろそろ干支が一周してしまうぐらい、一昔前のお話です。

グルーポンの問題はまだ燻っている時代でしたが、フラッシュマーケティングや大手広告代理店やベンチャーも含めたクーポンサイト、グルメ系のポータルサイト、ショッピングモールといった太いアクセスを活かして、知名度やお金の力を活かして情報をプッシュする戦略は有効でしたが、徐々に効果が低減するというか、尻すぼみになっていくのを目の当たりにしてきました。

やがてFacebookが盛り上がり、Twitterが人気を博し、Google+は徒花となってビジネスプロフィールやGoogleマップに組み込まれ、Youtuberが乱立する群雄割拠の時代を経て、ステルスマーケティングが問題視される時代、「ポスト・トゥルース」と称されたり、生成AIによるディープフェイクも当たり前の時代となりました。

以前から景品表示法に基づく誇大広告の問題や、薬事法関連の広告表現の問題はありましたが、2010年代後半頃から動きが活発になった「家元制度」ビジネスや、書籍の出版等を起点としたり、何らかの「No.1」を喧伝するブランディングが流行りすぎたために、テレビや大手雑誌などマスコミが題材にしていないのに、マスコミや大手広告代理店風の手法が蔓延してしまった結果、テレビ離れどころかそういった手法からも距離を取りたいと思う人が増えてきたように思います。

テレビやマスコミ、大手広告代理店や同分野出身のコンサルタントはまだまだお殿様気分のようですが、テラバイトもペタバイトもエクサバイトも超えてゼタバイトの情報を浴びるようになった一般市民は、そういった人たちが手掛ける広告やマーケティングの裏にある意図や真意すら、見抜くようになりつつあります。

Google検索でもモバイルファーストインデックスに切り替わってから久しい昨今、情報発信はもはや既得権益ではなくなりました。世論やブームをマスコミが発信、コントロールしたくても困難な時代に、今までと同じ手法で良いのでしょうか。

商流や経済活動ですらサプライサイド主導からディマンドサイド主導が定着しつつある昨今、情報発信やマーケティングにおいても同様の考え方に切り替えなければならない。その象徴がレスポンシブWebデザイン、より正確に言えばモバイルファースト、そして表示速度の問題ではないかというのが筆者の基本的な考え方です。

マスっぽい発信は、半信半疑で受け取ってしまう

公共放送を自称するNHKや、大手新聞社ならびに民放各局の番組や情報発信ですら、科学的に正しいか疑問符を付けざるを得ない内容や、後からコミュニティノートを付与されるものが少なくありません。報道寄りの話題や解説と称した番組ですらそんな有様なので、バラエティやトレンド紹介といった情報発信にも、同様の見方をしてしまうのは仕方ないでしょう。

文芸の世界へ目を向ければ、明らかに作品の内容や書き手の筆力としてはそのレベルに達していない人たちに対して、背景情報も加点して芥川賞を与えるような傾向が続き、その他の出版物も筆者のプロフィールが帯に大きく乗ったり、巻末の方に感想を送付したり、ビジネスの問い合わせに繋がる連絡先を掲載するような、ブランディング目的の中身の薄い本もかなり散見されるようになりました。

いっときはキラキラしているように見えて話題になっていた「いわゆる断捨離」や自然栽培の裏側、負の側面も見え始め、マスメディアによって煌びやかに演出された情報、華やかに切り取られた見せ方に対して、素直に受け取っても良い情報なのか、半信半疑で受け取らねばならない状況となっています。

ただでさえ情報を浴びせられる現代において、受け取る際にイチイチ「本当かどうか」を検証しなければならない情報が紛れるのは、多大なストレスとなります。「本当のことを発信してほしい」という思いでテレビや新聞から距離を取っている人も少なくないと思いますが、「半信半疑がシンドい、労力を割きたくない」という観点からテレビ離れ、マスメディア離れに繋がっている人も少なくないように思います。

テレビやマスメディアを経由して都合よく改変されることを避けるために、トヨタが自社メディアを通じて発信したり、政府が直接国民へ発信する仕組みを整えたりする時代に、これまでテレビや大手新聞、大手広告代理店等が得意としていたマス向けっぽい情報発信、送り手の都合やスポンサーのことしか考えていなさそうな広告が、受け手に歓迎されるでしょうか。

テレビや新聞雑誌が苦境にあるのは、何らかの証左でしょう。

コンテキストは多様化かつ硬質化している

考え方や生き方が多様化したのは今に始まった話ではありませんが、2019年末から始まった新型コロナウィルスにより、働き方や暮らし方の多様化は更に拡大しました。

米国では揺り戻しでオフィス回帰が強まりつつあるようですが、都心部から周辺部、地方へ分散したり、オフィスを縮小してリモートワーク前提の働き方も増えた日本で今後どうなるか、要注目のトレンドでしょうか。

それでも2020年以前、いわゆる「ビフォーコロナ」と同様の水準へ今すぐ戻るとは考えにくいので、かつての動き方、かつての動線を前提とした情報発信、大味なカスタマージャーニーは再考せざるを得ないでしょう。

大味なカスタマージャーニーとしては、朝には公共交通機関を使って都心部へ出社し、昼は職場周辺を回遊し、夜は親睦を深めたり、帰路につく、みたいな想定でしょうか。それを基本のモデルとして想定したメディア戦略を今後も採用し続けるのは、正しいと思いますか?

また、もう一つの検討材料として、日本国内の場合はコストプッシュ型のインフレが続いています。
主に社会保険料で静かな増税も進み、可処分所得の減少も発生しています。2020年7月からはレジ袋の有料化も始まったこの状況で、「バブル期には上手くいっていた広告やマーケティング」が通用するでしょうか。

個人的には、「それは無理でしょう」というのが率直な意見です。
必要なものを買うだけでも苦しい状況下で、そう簡単に余計なものは買わないでしょう。自分の好みや趣味に合うもの、楽しみに合致するものなら別ですが、送り手の都合で情報を浴びせたところで意に沿わなければ反応しない、手を出さないのが普通でしょう。

つまり、余暇で旅行をしている人でもない限り、本人の意図や目的から大きく外れたことには見向きもしない、「コレをやり遂げる」と硬い意志を持った相手にフワッとした戦略で情報を提示、広告を見せたところで響くはずもない、というのが基本的な考え方じゃないでしょうか。

街を行く人の事情や背景、好みや暮らしぶり、動線や目的といったコンテキスト、カスタマージャーニーは多様化している上に、硬質化、硬直化している可能性も考慮すると、やはりサプライサイドの浅はかな考え方での宣伝広告は効果が薄いと言えそうです。

広告は無料でも要らない。お知らせは大歓迎

WebやSNSで特に顕著だと思いますが、広告は基本的に歓迎されていないというか、嫌われているのがデフォルトでしょう。フリーミアムを支える上で大事なのは理解しつつ、広告ブロックをONにしている人も沢山いらっしゃるかと思います。

特にモバイルだと広告が邪魔になりすぎて、出先の隙間時間に見ていたニュースサイトを見なくなったとか、パソコンでないと開かなくなったサイトもあるのでは。

更に最近は、AIDMAに基づいて構成されたWebCMもあまり好まれないというか、アテンションが強すぎる広告は嫌われる、スキップされがちな傾向にあるのでは、というのが個人的な偏見です。ラジオ代わりの作業用で流しているのに、合間に注意を引かれる映像や音声、音楽が入ってくるのは好ましくないというか、ブランドや商品を嫌いになるというのも実はあるあるではないかとも考えています。

在宅ワークやリモートワークが増えたからか、以前は新聞の折込として配布されていたような広告が、ポスティングされることも増えました。しかし、上記でも述べましたがレジ袋が有料化したということは、ポスティングされたチラシ自体は無料でも、それを捨てるのもコストがかかることになります。
仮に自宅で捨てなかったとしても、駅やコンビニといった街中のゴミ箱で余計なコストをかける要因にもなっているでしょう。

余計なものは欲しくないのと同様に、余計な情報、余計な広告も欲しくない。それらが世の中へ余計なコストを産んでいるとなれば、広告は今後も嫌われ続けることでしょう。視界に入るのも嫌、耳に入れるのも嫌、ゴミになることが確定しているのに紙媒体を受け取るのも嫌。それらを理解した上で、広告を打つべきでしょう。

平たく言えば、広告は「たとえ無料でも欲しくない」がデフォルトの時代です。
適切なタイミングで提示されるならまだしも、受け取って良いとオプトインしていない状態で持って来られる広告は、ノイズ以上の不快なゴミ、受け手への負担になります。

受け手として求めているのは広告ではなく、お知らせ、広報です。
お知らせをメインに、CTAというか連絡先が掲載されていたり、必要事項として費用や申込期日が掲載してあるなら、不快感を覚えることなく受け取ってもらえるでしょう。

広告らしいそぶりをした広告、大きな予算がかかっていそうなマーケティングは嫌がられ、「あ、私向けだ」と思える小さな訴求、小さくて押し付けがましくない広告であれば、好意的に受け取ってもらいやすい。今はそういう時代なんじゃないかと、個人的には考えています。

お祭りをゼロから作るより、相手の日常へ新たな選択肢として入り込む

新しい商品の素晴らしさを大々的に喧伝すべく、大規模な予算を投じてマスメディアを巻き込み、動画やポスターといった煌びやかで高品質なクリエイティブを掲げるお祭りで、ゼロから欲しい気持ちを煽るようなハレやかなマーケティングを「ハレ」のマーケティングとするなら、BBNが提唱するのはそれらとは真逆の低予算かつ地味な日常、「ケ」のマーケティングです。

期間限定のフレーバーやフェスのようなイベントで短期間でガツンと大きな収益を上げに行くのではなく、新たなレギュラー商品として定着する、繰り返しご購入いただくことでロングエンゲージメントを築き、LTVを上げに行こうという考え方です。

「ハレ」のマーケティングはどうしてもテレビ的な手法、マスメディア的な発想がベースになって展開されてしまうため、商品やサービスそのものに分かりやすいウリやUSP、あるいはストーリーとして耳目を引く要素がない場合は適用しにくい性質を有しています。

逆に言えば、そこまで見せ方や伝え方を工夫しなくても、予算をかけてマスに発信しさえすればある程度売れることが見込める商品やサービスであれば、向いているマーケティングでもあります。

もし、「ハレ」のマーケティングに向いていない商品やサービスの場合、つまり、パッと見では勝ち筋が見えにくい商材の場合は、彼らの勝ちパターンへ当てはまる形に整形、加工が加えられます。本来のウリやUSP、クライアントが本来求めるマーケティングを省みることなく、彼らの得意な方法に塗り固め、分かりやすいメリットを中心に発信することになるでしょう。

例えば、角丸の長方形を一般的な長方形だと喧伝しても誤差の範囲で許されるかもしれません。正六角形や正八角形を円だと言い切っても良いかもしれませんが、ドーナツやトーラスのように真ん中に穴が空いていることが特徴なのに、「穴が空いていること」が説明しにくい、分かりやすく伝えられないからと、穴の事には一切触れない宣伝をしたり、ただの円や球だと喧伝したり、後で面倒くさいからと穴を塞ぐように指示されてしまうかもしれません。

開業したての飲食店や、立地やサービスはいいのに集客に苦労している理美容店に対して、クーポンや広告に合わせた安売りパッケージを用意させ、それを目的とする顧客だけを招き寄せる薄利多売に多額の投資を求め、徐々に独自性を蝕んでいくことになる、というのもそこまで珍しい事例ではないでしょう。

「ハレ」のマーケティングは、十分な金額を投入して、見た目にも立派で発注した側も満足できる立派なWebサイトやLPが出来上がり、短期的には収益に繋がる役割を果たせることも多いので、「良い買い物をした」と思われがちですが、今後もそれが通用するとはあまり思えません。

「ハレ」のマーケティングは流れの早いWebマーケティングの観点からすると「古」のノウハウであり、サプライサイドの事情を優先にしたやり方かつ、SNS全盛期である現代性を考慮し切れていない劇場型の殿様商売の側面があることと、「分かりにくい違い」を「分かりにくくても丁寧に説明する」ことが今後は求められる時代へ移り変わっていくから、です。

「ケ」のマーケティングは派手さや華やかさに欠け、規模やスピードを追い求める点においても「ハレ」のマーケティングに劣りますが、「ハレ」のマーケティングとは異なり、明確なUSPやウリを持たせにくい商品、サービスであっても導入しやすいというメリットがあります。情報を受け取る相手や受け取っている状況に合わせ、スタープレイヤーとの違いを説明すること、真摯に違いを分かってもらうこと、体験してもらうことが基本スタイルとなるからです。

市場にはド派手で耳目を引くスター商品、圧倒的な違いでシェアを席巻する強者も存在しますが、そうでない商品やサービスも沢山存在しています。法令や許諾によって業務が制限されている業界や業種の場合、サービスそのものや価格差で特徴づけることは困難ですが、何が得意なのか、どんな事例があるのかを伝え、なぜそれが得意になったのかといった背景まで丁寧に伝えれば、派手さやケレン味はなくても顧客との強い繋がりを作れるかもしれません。

SNSの存在や外部のブログやオウンドメディアを使ったコンテンツマーケティングは、その「細やかな違い」や「説明に努力を有する取り組み」に対して強力な武器、強みとなります。
サプライサイドの都合や事情を優先して営業や宣伝広告に注力するのではなく、受け取り手の事情を考慮して、あくまでも良き隣人、他者を害さない発信者として「知って欲しいこと」を広く知らせるスタンス、コツコツと時間をかけて信用や信頼、実績を積み重ねるには、「ケ」のマーケティングに分があると考えています。

架空の相手を信じて合わせないと、効果は薄い

BBNとしてこれまでにコンテキストの話(https://note.com/bbns/n/n765230e48910)やペルソナに関する話(https://note.com/bbns/n/n420d25ddd096)、文章を書く際には相手を絞らないと受け取ってもらえないという話も発信して来ましたが、「ケ」のマーケティングはコレらの延長線上に成り立っています。

徹底的に受け手が主導権を握り、相手の生活や行動の中に違和感なく入り込んでいかないと十分な効果を発揮しません。言い換えれば、相手自身や相手のコンテキスト、カスタマージャーニーを見誤れば、何の効果も発揮しない手法でもあります。

ペルソナという架空の存在かつ実在する人物とも異なる相手に対し、「そこにいてもおかしくない人物」としてトコトン考え抜き、相手には一切の負担も作業も求めず、面倒ごとはこちらで一切合切引き取った上でお膳立てし、ベストなタイミングを見極めてオファーを出す。

ライバルの力や相手の性格も見極めた上で、掛け合いの中で最上の結果へ辿り着く、アニメや漫画だと非常にアツい展開のような動きを常に画策するような難しさが、「ケ」のマーケティングにはビルトインされています。

マーケティングの対象となる商品やサービスの特性、店舗型の場合は立地条件や営業時間などの要素を踏まえつつ、主に想定される対象ペルソナを洗い出し、一般的な生活者の動きをシミュレーションして、どんなケースが考えられるかを予測します。季節や時期、気候や気象も織り交ぜた上で、どれが最もあり得そうな展開なのか、その状況下ならどうアプローチすれば良質なカスタマージャーニーとなり得るのか。

事前の材料を入念に検討し、クライアントにとっても理想的なファンとなりうる人物像や、定着させたい顧客層がどう行動するかをリアルに考え、「これなら当てはまる」と最適なタイミングで適切なメッセージで訴求しない限り、まともにヒットしないでしょう。

相手もこちらも複雑な動きをするハンティングや演習のようなものであり、無数の不確定要素が影響しあう「開いた世界」を前提としたマーケティングでもあります。

発信する側、サプライサイドに都合のいい価値観や事情を持ち込む余地はありません。目の前に広がるのは先が見通せないVUCAの世界と、そこに潜むペルソナたちだけ。現実に即したやり方でコツコツ成果を積み上げ、徐々に複利効果が出ることを期待する取り組みが「ケ」のマーケティングです。

受け取り手にはとことんストレスフリーで

「ハレ」のマーケティングは、受け取り手に判断や決断、欲しいと思う動機を求めますが、「ケ」のマーケティングは、受け取り手にはほとんどストレスをかけません。いつも選んでいるものと少しだけ違う選択肢を、「たまにはこっちでも」と選んでもらったり、関係を丁寧に築いた結果、「たまにはアソコへ行こう」と自然に新しい選択肢として浮かび上がることを狙っています。

または、タイミングよく「ちょうど良いところに訴求が来た」と相手が求める場面で情報をプッシュしたり、受け取りやすい形で差し出すことを企図しているから。

営業的な圧力や、マスメディア的な大味なアプローチは一切せず、「自分たちを選んでくれ」というプレッシャーもかけません。「もしよければ、いつか」という控えめなスタンスで、受け手にストレスを感じさせないことを追求しています。

その上で、細かな違いを理解してくれる人や、本当のUSPを受け入れてくれる人との接点を大切にし、長期的な関係を築くことを目指しています。

そのため、「ケ」のマーケティングを採用するBBNとしては、そこに劇場型の派手な見せ方や過度に持って回った表現、カッコをつけた言い回しは必要なく、あくまでも必要に応じた華やかさ、自然体の表現があればそれで良いとも考えています。

Web以外の施策も大事だけど、活かし方はもっと大事

それなりのコストをかけてポスターを作ったり、動画広告を流すのも悪くはないと思いますが、コンテキスト、つまりカスタマージャーニーやペルソナを軽視して発信してみたところで、その施策の費用対効果は不十分なものとなるでしょう。

掲載する広告そのものやCTAの良し悪しもありますが、それ以上に自分の商材や受け取る相手をしっかり考えた上で、どう伝えるのが効果的かを考えた上で広告費を投じなければ、投資ではなく投機に終わる可能性が高まるでしょう。

リテラシーや感度が上がってきた昨今の一般生活者は、その広告が自分の方を向いているのかどうかや、入念に考えた情報発信かどうかを敏感に受け取りますし、マスメディアやテレビ的な「古」の考え方に基づいた広告であれば、昭和30年代頃の品質が良くなかったバタークリームみたいに、感知されるだけで敬遠される可能性を秘めています。

相手に合った戦略を見極めるまでは、無理に大きな予算を投じない。無理に大きな認知や収益を追いかけない方が賢明でしょう。自身の商売を長く続けるためにも、身の丈に合った予算や工数の管理を心がけてくださいね。

BBNは、費用対効果を考えた月額制Webサイト制作サービスです

見た目も重視する「ハレ」のマーケティングでは、デザインにも予算や工数を掛けがちですが、デザインの違いによる効果は測定が困難な上に、いわゆるパーキンソンの凡俗法則である「自転車置き場の議論」にも陥りやすい部分です。

マーケティングやブランディングの観点では主従の「従」の要素であり、重要ではありますが最重要とは言えないにも関わらず、予算や工数を費やされやすい領域です。

BBNでは「ケ」のマーケティングを採用することで、デザインに過剰なコストをかけることなく、まずは必要最低限の機能や見た目を担保し、Webサイトを公開後に実際のアクセスや反応を基に、戦略やペルソナを見極めていくスタイルを取っています。

どのようなレベルのWebサイトに仕上がるか気になる方は、お時間のある際に制作事例をご覧ください。

BBNでは、「ケ」のマーケティングと月額制モデルを採用することでWebサイト制作やWebマーケティングにまつわる様々な課題の解決を目指しています。余計なコストや工期を抑えつつ、最大限の効果を追求するWebサイト制作、Web活用にご興味のある方は、ぜひ一度ご相談ください。

BBNの基本的な考え方はこちらもチェック

「ケ」のマーケティングだけでなく、BBNとして大切にしている考え方は、こちらの記事もご参照ください。

時代を超えて愛されるWebサイトを目指して

「BLUE B NOSE」は時代を超えて愛されるWebサイトをお届けするために、月額制モデルを選択しました。OODAループやPDCAサイクル、データ・ドリブンに基づく継続的な改善を選んだ理由や、当サービスの目標、当サービスの特長を簡単にご紹介します。
長谷川 雄治
サービスについて

シェア・共有

長谷川 雄治
昭和63年生まれ。大阪電気通信大学 総合情報学部 デジタルゲーム学科卒。
2011年からWeb制作に従事。コーディングやWordPressのカスタマイズ等を主に経験を積む。2013年、仮面ライターとして独立開業。マーケティングや企画、上流も下流も幅広く対応。
コーディングとコンテンツ制作の同時提供を考えるヘンな人。
BLUE B NOSEでは開発等を担当。

関連記事

最新記事

人気記事

コストを抑えたWebサイト制作に最適 速くてリッチなWebサイトが、月額10,000円〜

メールでお問い合わせ ご利用の流れを確認する