安易な出版はリスクかも

長谷川 雄治
78回表示・読了見込 12

ブランディングやマーケティングにも活用できるから、「出版してみませんか?」
作家志望を完全に捨てたわけじゃない身にとっては、喉から手が出るほど掴み取りたいチャンスであると同時に、軽々しく手を出してはならない神聖な行為だとも思っています。
何がリスクなのか、個人的な嫉妬や偏見も込みで語ってみました。

出版。一度でも作家を志したことがある者にとっては、垂涎の二文字。
そうでない人にとっても、権威や憧れの的でしょう。

ましてやそれが、マーケティングやブランディングとしても有効だとしたら、「本を出しませんか?」の誘いを断る理由は見当たらないでしょう。

POD(プリント・オン・デマンド)や電子書籍、自費出版ではなく、全国の書店に並ぶ「商業出版」として「本を出した」となると、それだけで著者には権威や箔が付き、ビジネスやブランディングにも直結します。

昨今では、出版そのものをクラウドファンディングのプロジェクトとし、出版記念パーティまでを含めたプロモーションも可能な上に、文章を書くことが苦手でも、AIをゴーストライターに指名することも可能です。

どんなに時代が変化しても、出版は依然として強力な武器で在り続けています。
いつでも有効だからこそ、「いざという時は出版だ」と思うのかもしれません。

ただ、だからこそ、作家志望を捨てた訳ではない一人の活字好き、あるいは本屋好きとしては、安易な「出版頼み」には、異議を申し立てたい。

それは本当に、マーケティングやブランディングにとって有効なのか。
また、出版業界にとって、プラスになる取り組みと言えるでしょうか。

十数年前ならいざ知らず、近年ではその雲行きが怪しくなりつつなるのではないだろうか。
それが、率直な私見です。

今回は、SNSでも時折見かける「出版」を促す呼び掛けや、気軽に手を出そうとする風潮に対して、私が抱えるモヤモヤを、嫉妬や偏見も交えながら言語化してみましょう。

目次

中身 < 周辺事情 = アンフェア

書店に並んでいる全ての書籍が、必ずしも自分にとって良質なコンテンツであるとは限りません。
しかし、書店を利用するユーザーとしては、そこに陳列されている以上、一定の品質は保たれていると期待するでしょう。

時には、自分の理解が追いつかない作品や、好みではない「Not for me」な作品を手に取ることもあります。ただ、消費者として価格に見合わないハズレが続いてしまうと、その書店や棚に対する信用が薄れ、自然と足が遠のくはず。

市場としては甘えを持ち込めない場所だからこそ、中身の面白さや有益性を競わされ、過酷なトーナメントや厳しい審査を勝ち抜いた、出版する価値があると認められたモノしか出版されない、棚に並ばないと思っています。

それが正規ルートのはずなのに、中身以外の理由で「売れる」として判断され、加点された結果、中身が伴わないまま書店に並んでいる書籍も存在します。

これは、マーケティングやブランディングが絡んだ出版物に限りません。
純粋なエンタメ作品の領域でも起きています。

例えば、原作が存在して映像化される作品ではなく、映像作品が先行し、そこからメディアミックスが展開されるタイプの長編アニメーション作品では、よくある事例じゃないでしょうか。

劇場公開のスケジュールを優先し、監督や脚本家名義のノベライズや同名小説を同時期にリリースする。
しかし、映像以外はクオリティが今ひとつだったために、全体としては「がっかりした」という印象が残ってしまいます。

本来なら、映像と活字、漫画などの媒体特性を活かして深掘りしたり、映像では触れなかった部分に焦点を当て、前日譚や後日談、別視点の物語など、お互いに世界観を補完する中身重視のメディアミックスが理想です。

しかし、「文字起こしするだけだから」と駆け出しの作家に丸投げしたような作品が出てくることも。
劇場公開に合わせて二匹目のドジョウを狙ったつもりが、結果的に本体も周辺にも「がっかり」の印象を与えてしまうでしょう。

中身以外の要素でシード権を獲得し、特別待遇というチートで商業出版を勝ち取ったところで、読者としての第一印象は良くなりません。また実際のところ、中身以外で「売れる」はずという皮算用は、通用しなくなっています。

その象徴と言える出来事が、2015年2月の第153回芥川賞でしょう。
『火花』が選ばれた瞬間、権威ある文壇は死んだと個人的には受け止めました。
確かに同作品は、著者の芸能人としての知名度も相まってベストセラーにもなりました。
ただ、それ以降、著者の背景込みによる「話題性重視で選ばれた」芥川賞作品が、同じように売れているかといえば、そんな印象はまるでありません。

読者としてはまだ信頼できそうな『本屋大賞』や『このミステリーがすごい!』も、最近は選者と好みが合わないのか、「大賞受賞」という売り文句と内容の釣り合いが取れない作品も増えて来た気がします。

純粋たるフィクションやエンタメ作品の世界ですら、この有様です。
より商売っ気が強い実用書やビジネス書、あるいはマーケティングやブランディングを目的とした商業出版であれば、尚更「中身より周辺事情」を優先したところで、どう受け止められるかは明らかでしょう。

出版業界や編集者が、「売れるために」と色々画策している意図は良く分かります。
ただし、一人の活字好きとして言わせてもらえば、知りもしないスーツ姿の著者が小綺麗に撮影された帯や表紙、近影には全く興味が持てない上に、そういった装丁は、うっすら嫌悪感を抱くこともあります。

出版不況とは言いますが、むしろ出版する側やメディア自身が、自ら首を絞めているのではないかーーそれが、素直な本音です。

タイトル詐欺や惹句詐欺、ボリューム詐欺はもう十分

これも、文芸やエンタメ作品、実用書やビジネス書といったジャンルを問わず、昨今の出版物に対して抱えている不満です。
タイトルや表紙、帯で大きく掲げていることがあるなら、それを中心に据えてもらいたい。
惹句に受賞歴や推薦者の言葉を載せるのであれば、それに見合う満足感を読者に与えていただきたい。

「書籍を売りたい」という出版社の気持ちや、「出版まで漕ぎ着けてもらいたい」という出版エージェントの思惑、SEOで磨かれた悪い意味での「小手先のライティングスキル」が合わさって、書籍を手に取る機会を増やすと同時に、読者の事前期待だけを必要以上に高めることとなっています。

その結果、特に最後まで読み進めないと中身の良し悪しが判断しにくい文芸書については、ますます手が伸びなくなっています。

コンビニ弁当の底上げや、サンドイッチと同等の嵩増しにも似たボリューム詐欺も、散々経験して来ました。今更、新しいものを積極的に受け取ろうとは全く思えません。

内容に直接関係なさそうな、幼少期や学生時代の身の上話、ビジネス書に挟まれる物語チックな例え話、対談や鼎談の文字起こしによってページ数を稼ぐ構成も、全部ごっそり削っていただいた方が、価格も下がって読む側としてはありがたい。

ただ、書く側や出版する側はそうは思わないんでしょうね……。

例えば、エリヤフ・ゴールドラットの『ザ・ゴール』は物語調のフィクションにビジネスでも使える話を差し込む構成です。書籍の大半を占めるフィクション部分が極上に面白いか、真に迫って興味を引くかと言われれば、個人的には肯定的には受け取れません。

同様に、岩崎夏海の『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』も、ラノベ調の小説が本当に必要だったかと言われると、疑問が残ります。
『マネジメント』の解説としての要素だけで、十分だったのではないでしょうか。

本田健の『ユダヤ人大富豪の教え』や、岸見一郎と古賀史健による『嫌われる勇気』も同様で、本題とは関係の薄い物語パートが、特別にクオリティが高いとは感じません。むしろ、要点がぼやけて分かりにくくなっている印象すらあります。

フィクションとして楽しみたいなら、素直に小説や漫画を手に取れば良い。
それらは、「物語」として評価されて棚に置かれているので、読者は安心して満足するでしょう。

だからこそ、ビジネス書や実用書の中でお粗末な「それ」を差し込むのは、読者の期待や商品価値を毀損しかねない、ルール違反だとすら感じてしまいます。

また、具体的なノウハウやポイントを列挙した書籍で、あまりにも項目数が多いもの、あるいはその書籍だけでは完結せず、著者のバックエンド商品やメールマガジン、セミナーに誘導することが前提になっているものについても、正直なところ、食傷気味です。

必ずしも、「マジカルナンバー7±2」に従うべきだとは思いません。
しかし、列挙する項目が二桁を超えてしまうのは、事前の論点整理が不十分であり、企画段階から再検討すべきではないかと感じてしまいます。

書籍としての中身や独自性に乏しく、学術的な根拠やデータも薄い。
それにも関わらず、いたずらにページ数だけを稼いで、書籍の厚みや価格を釣り上げてしまうのは、読者に対する重大な裏切りではないでしょうか。

そんな書籍が陳列棚を席巻し、一番目立つ場所で平積みされてしまうのだから、書店が嫌われ、出版不況が進んでしまっても、無理はない。

読者が求めているのは、表面的なボリュームではなく、厚みや価格に納得できる中身です。
そして、本にお金を払うための前提となる、著者や出版社に対する信頼も求められています。

残念ながら、現在の出版業界や書店は、その前提が大きく揺らいでいるように感じます。

出版や書店は、みんなで培ってきた共有財

書籍の流通網や、出版が有する権威、書店という場は、出版業界だけでなく、著作者やユーザーなど、多くの人間が長い時間をかけて培ってきた共有財であり、文化財です。

そこは、参加する人の自由な利己心によって紡がれてきた、自由な市場です。

ただ、生鮮食品や家財道具のように、物理的価値や便益が明確な市場とは異なります。
本の価値は貨幣にも似ており、極めて曖昧な、皆の共通認識の上に成り立っています。

だからこそ、価値の基盤となる物差しや、商品、著者、出版社に対する信用が崩れてしまうと、市場全体が一気に崩れかねない。

アナタがこれから出版の権威や書店を活用したいのであれば、これまで培われてきた共有財であるということを、どうか忘れないで欲しい。

もし、それを忘れてアナタ自身の私利私欲や、出版を持ちかけて来たエージェントの利潤、あるいは自分のコミュニティ形成のためだけに、出版や書店を利用するようなことがあれば、活字好きや書店好きは、アナタの活動もビジネスも、版元となった出版社そのものも、若干軽蔑するか、嫌悪するでしょう。

数冊の書籍を出すためだけに、クラウドファンディングを立ち上げないでください。
自ら出版記念イベントを企画し、自分たちの祭りにしないでください。
マーケティングやブランディングのために、出版の権威や書店を利用しないでください。

出版業界や書店、活字好きの信頼を失いたくないのであれば、権威付けのために出版を控えましょう。
内容が伴わないのに、「売れる」や「利益が出る」という皮算用でタイトルやページ数、事前期待を盛らないこと。
数冊出しただけで満足し、著者業を終えた気になるのではなく、断続的かつ継続的に書籍を世に送り出す覚悟を持つこと。
また他のメディアへ気軽にコメンテーターとして出演するより、一人の書き手として在り続けること。

これらの姿勢があれば、活字好きはアナタの味方になってくれるでしょう。
内容が優れている本物の書籍や、内容によって評価される本物の書き手を、彼らは支持してくれます。

大切なのは、自分の利己心を優先せず、出版業界や書店に対して敬意を払うこと。
共有財は、荒らすのは簡単ですが、簡単には元に戻せません。
アナタが破壊のきっかけになってしまったら、ずっと白い目で見られても文句は言えませんよ。

活字好き、本屋好きを敵に回さない

安易な出版に手を出した場合、最も危惧すべきことはコレに尽きます。
本が好きな人、書店を愛している人。
または、出版に対して憧れを持っているかもしれない在野の専門家や、隠れたアーティストも。

こうした人たちも、「活字好き」もしくは「本屋好き」に含まれているかもしれません。

本という媒体や、出版という行為そのものに深い敬意を持つ彼ら・彼女らに対して、アナタが中身の伴わない書籍を軽い気持ちで出版し、書店に流通させてしまったらーー。
アナタが気が付かないところで、静かに嫌われたり、軽蔑されてしまうかもしれません。

これはあくまでも個人的な感覚にすぎませんが、私はこの人たちだけは、最も敵に回したくないと思っています。

本を愛するが故に、高い教養を備えていたり、豊かな内面を育んでいたり。
細かな違いに対して、自分なりのこだわりや美学、ポリシーを持つ方も多いでしょう。
著名な先生方や権威ですら及ばない「何か」を内に秘めている可能性も否定できません。

自分の頭で考え、流行に流されず、独自の価値観で行動できる人たち。
本来、味方にすべき「違いが分かる人」のはず。

そして彼らの知性や感性、根気強さは、敵に回すとこの上なく厄介です。
表面的な金銭や話題性ではなく、本質的な価値や内容を重んじる人たちと、本当に敵対したいでしょうか?

答えは自ずと見えてくるはずです。

彼らが大切にしているものを傷つけず、敬意を払い、信頼を失わないこと。
それもまた、「出版」を考える上での極めて重要なポイントです。

安易な出版は、リスクとリターンが釣り合わない時代かも

本を出すだけで半自動的に権威や箔が付いた時代は、確かにありました。
しかし、ここ10〜15年ほどの間に出版マーケティングや出版ブランディングが加熱しすぎた結果、実用書やビジネス書の棚が荒廃したと感じる活字好き、書店好きも少なくないでしょう。

タイトルも装丁も似通った書籍を見るだけで、「売り場を荒らした元凶だ」と白けてしまい、その棚や書店そのものから、足が遠のいた方もいるはずです。

そして、本が売れないからと売り場面積を縮小したり、陳列棚を入れ替えてしまうと、その書店に対する愛が深かった人ほど、強い忌避感を覚えてしまいます。
郊外や地方の書店は、売れ筋の書籍や流行に左右されない書籍ばかりになって没個性化が進行し、都心部の書店も縮小の波に飲まれて「どこに何があるか分からない」状態に陥りつつあります。
その状況で、従来通りに出版したところで、10年前のような効果が期待できるかといえば、疑問符がつくでしょう。

そこに追い打ちをかけるように、「第四の権力」であるマスメディア、テレビや新聞の影響力が低下し続けており、出版も例外ではありません。

これから頼みにすべきは、マスに向けた発信や影響力ではなく、細分化された相手にも届く在野のレコメンドや口コミです。
つまり、テキストで豊かなコミュニケーションができる活字好き、書店好きの発信力や影響力です。

10年前の感覚で「出版すればリターンが得られる」と思い込んで行動すると、中身の伴わない書籍を流通させてしまい、敵にしてはならない層を刺激してしまう危険性があります。
それが、2025年現在における「安易な出版」のリスクとリターンです。

活字好き、書店好きを顧客として味方にしたいなら、安易な出版は控えた方が賢明です。

マナーよく、同志と通じ合う

出版は誰にでも開かれた自由な行為です。
note.comや小説投稿サイトなど、発信する手段は豊富に揃っていますし、出版エージェントも、次の可能性を求めて積極的にアプローチしてくるでしょう。

しかし、だからといって、自分と周囲のファンだけを拠り所にやりたい放題に振る舞うと、外側にいる人たちからは、静かに距離を置かれてしまいます。

公共物として育まれてきた出版文化を取り扱う以上、自由と無秩序を取り違えないこと。
先人たちが築いてきたルールやマナーを尊重し、周囲に対する敬意を欠かさないこと。

その上で大切にすべきなのは、熱狂的なファンを抱え込むことではなく、アナタを深く理解し、静かに支えてくれる同志と通じ合うこと。
派手に盛り上がらなくとも、マナーや節度を保って嗜んでくれる大人なファンは、末長くアナタを支えてくれるかもしれません。

熱狂的なスタイルだけが、ファンダムではありません。
品位を損なわず、角も立てずに、自分のやりたいことも譲らない。
静かな佇まいこそ、これからの時代に相応しい在り方です。

出版もマーケティングもブランディングも、品よく参りましょう。

そんな書店事情や、敵に回したくない活字好きの心理にも通じている私たちと、Webサイト制作やマーケティングに取り組んでみませんか?

少しでも興味がある方、気になった方は、ぜひお声かけください。

本や文章に関するオススメ?

出版に対する憧れを捨てきれない人間として、コンテンツに関するノウハウもまとめています。よろしければ、こちらもご一読ください。

ブログの基本は1記事1イシュー

本当に国語や作文が苦手でブログが書けないという人もいらっしゃいますが、そうじゃないけど書けない、あるいは書き続けられない人、ブログ活用に難儀しているという人も沢山いらっしゃいます。
書けるけど困っているという方は、この記事で何とかなるかも知れません。ぜひ、最後までお付き合いください。
長谷川 雄治
未分類

シェア・共有

長谷川 雄治
昭和63年生まれ。大阪電気通信大学 総合情報学部 デジタルゲーム学科卒。
2011年からWeb制作に従事。コーディングやWordPressのカスタマイズ等を主に経験を積む。2013年、仮面ライターとして独立開業。マーケティングや企画、上流も下流も幅広く対応。
コーディングとコンテンツ制作の同時提供を考えるヘンな人。
BLUE B NOSEでは開発等を担当。

関連記事

最新記事

人気記事

コストを抑えたWebサイト制作に最適 速くてリッチなWebサイトが、月額10,000円〜

メールでお問い合わせ ご利用の流れを確認する