Happy Holidays!
週の真ん中でど平日ですが、クリスマス・イブですね。
クリスマスなら”Merry Christmas!”でも良さそうですが、より無難なのが”Happy Holidays!”だとか。
プレゼントでも、無難な選択肢が存在します。
例えば、Nintendo Switch 2やPlayStation 5といったゲーム機、Amazonギフト券のようなプリペイドカードなど。コレなら、嫌がられる可能性は低く「外さない」贈り物と言えるでしょう。
ただ、臨時のお小遣いのように万人受けする手段は、誰にでも喜ばれる反面、どうしても特別感が薄くなってしまいます。
定番やいわゆる「鉄板ネタ」、エヴァーグリーンコンテンツは万人受けするものの、相手を本当に喜ばせるという点で、必ずしもベストとは限りません。
他に案がない時の保険としては有効ですが、思考停止でいつも無難な選択を続けていると、そのうち「また?」と呆れられてしまうはず。少なくとも、「ベストを尽くした」とは思ってもらえないでしょう。
今回はそんな「安牌」を選んでしまうリスクや、何が問題なのかを整理しつつ、どうあるべきかまでお伝えします。
年末進行の忙しい時期に恐縮ですが、気楽に流し読みしていただければ幸いです。
目次
無難は「有り難く」ない
無難な選択肢は、誰に取っても受け入れやすく、相手を傷つけてしまう恐れも少ないため、発信する側にとっても、受け取る側にとっても、安心安全な選択です。
誰にでも喜ばれ、一定のメリットを提供できる。それも「無難」の長所です。
ただ、「難」が無さすぎるからこそ、「有り難い」という印象が希薄になるのも事実です。
例えば、日本ではどこでも簡単に軟水が手に入れられます。
公園の水飲み場や公共のウォータークーラーを利用すれば、お金を払うことなく喉を潤せます。
軟水だから身体への負担も少なく、洗濯にも料理にも使いやすい。
ありがたい存在のはずなのに、パッと差し出されても、特別な感謝は感じにくいでしょう。
しかし、軟水を入手しにくい環境だったり、コーヒーやお茶に適した希少な天然水や名水を、わざわざ汲みに行ってくれたとなると、受け止め方は全く違ってくるはずです。
何かしらの「難」が有るから「有り難い」。
相手のことを調べ、好みや望むものを考えたり、それを用意する難しさ、理解してもらうための創意工夫があるからこそ、特別な印象が生まれます。
それらが不要な無難な選択には、感謝の気持ちも特別な印象も生まれにくいモノです。
万人受けや定番が悪い訳ではありません。ただ、「無難」であっても「特別」ではない「当たり前」。
だからこそ、行為(好意)そのものは良くても、記憶には残らない。
相手から特別に評価されなくてもいいし、感謝されなくても構わない。そう考えるのは素晴らしいことですが、無難に徹すれば、評価が加算されることもありません。その点だけは、頭の片隅に置いておいても良いかもしれません。
異論のない名言や、自転車置き場の話は反応しやすい
例えば、孫氏の「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」や、ココ・シャネルの「失敗しなくちゃ、成功はしないわよ」、ブルース・リーの”Don’t think. Feel.”といった名言や名台詞に、強く反対する人は少ないでしょう。
誰もが一度は見聞きしたことがあり、異論を挟む余地がないものほど、「いいね」と軽く反応しやすい。
他の人も反応していれば、ますますリアクションのハードルは下がります。
同じ構造は、もっと日常的な話題にも当てはまります。
自転車置き場に関する議論や、掛け算の順序のように、誰にとっても身近なテーマは、本質的な難題よりも、議論に参加しやすいはず。
天気や季節の話がアイスブレイクに向いているのも、程よく凡俗で、誰にでも分かる話題だからです。
SNSで「きっかけを増やしたい」とか「手軽に承認欲求を満たしたい」と考えるなら、名言を発信し続けるのは確かに有効です。無難で即効性もあり、一定数の反応は期待できるでしょう。
ただ、そのアプローチで、アナタの印象を強く残せるか、ブランドとして評価されるかは微妙です。
オリジナリティのない名言botとして埋もれ、豊富な知識のアピールで終わってしまい、アナタならではの視点や専門性の確立には繋がりにくいでしょう。
歴史を振り返ってみても、人の記憶や歴史に刻み込まれるのは、聖徳太子の「日出処の天子、書を日没処の天子に致す。恙無しや」のような強気なパンチラインです。
無難な表現や独自性のない投稿を繰り返しているだけでは、認知を獲得することも、独自のブランドを築くことも困難でしょう。
反応 = 顧客、支持ではない
SNSやブログで「いいね」やコメントが多くついたとしても、それがアナタ自身への支持や、将来的な顧客化を意味するとは限りません。
タイムラインへ流れてきた投稿に対し、内容を最後まで読まず適当にボタンを押しておく人は少なくありません。
アルゴリズム上のペナルティを回避するために、義務的・利己的にリアクションしているだけのケースもあり得ます。
中には、システムの盲点をついた水増しが混ざっていることすらあるでしょう。
例えば、noteやSNSの投稿には3桁のリアクションがついているのに、関連するYoutubeやPodcastの再生数は2桁台。
電子書籍のレビューはゼロか、不自然な高評価だけ。
そうしたアンバランスな現象も珍しくはありません。
文字ベースで手軽にできるリアクションは、受け手にとって極めて低コストなため、本格的な支持やファン化に直結していないケースが大半です。
特に「マーケティング」や「ブランディング」の専門家を名乗っている発信者ほど、その実力や実態は文字以外のリアクションや数値、レビューに容赦なく現れます。
表面的なリアクション数に振り回されず、動画の再生数や書籍レビューなど、口先では誤魔化せない指標を足がかりに、本来の姿を見極めましょう。
つまり、名言の引用や古典の紹介によってリアクションやインプレッションは確かに増やせるものの、それが直接利益や、アナタ自身の価値向上に結びつくとは限りません。
むしろ、数字が伸びたことで過度な自信を持ったり、期待を抱く方が危険です。
表面的な数字に依存する発信は、長期的にはアナタ自身を蝕むリスクすら内包しています。
やはり、安易な名言botは避けるに越したことはありません。
レベルが上がれば、反応は減る
例えば、草野球や草サッカーと、NPBやMLB、国際試合に出場できる選手を比べてみましょう。
どちらが競技のレベルが高く、人口が多いかは明らかです。
競技のレベルが上がるほど、参加できる人の数は自然と絞られていきます。
これは、文化的なジャンルでも同じです。
万人受けする内容と、玄人好みのマニアックなモノとでは、理解できる人数が異なります。
先鋭的になるほど、内容について行ける人は限られ、自然と精鋭へ絞られていきます。
裾野は広く参入障壁が低い一方、トップ層は環境も要求水準も厳しくなる。
そのため、山のような形を形成し、緩やかに母数が減っていくのは自然な現象です。
例えば、時速100kmに満たない直球や、小学3年生レベルの算数なら対応可能かもしれません。
しかし、時速160km超の変化球を精密に投げ分けられたり、大学院レベルの難問に向き合った場合、腰が引けるか、「流石に無理だ」と諦めるでしょう。
SNS投稿やブログでも同じです。
独自性が高く、新規性に富む専門的な内容ほど、理解できる母数は減り、自然と反応も少なくなります。
発信者の権威や内容の素晴らしさによっては、3桁の反応や「万バズ」になることもあります。
しかし、理解できる人が多い番人向けの内容は、反応しやすくなるのも事実です。
だから、反応が少ないからといって落ち込む必要はありません。
中身が伴っていれば、必ず評価はついてきます。
アナタならではの中身の濃いコンテンツを、恐れることなく発信していきましょう。
草野球じゃなく、MLBのマウンドへ
一生懸命、先進的な独自コンテンツを発信しても、十分な反応が得られないことはあります。
どこにも届いていない気がして孤立を恐れ、拍手喝采を求めて草野球の世界へ降りてしまうと、無難や過去を踏襲した縮小再生産の罠に陥ってしまいます。
アナタが人生を賭けて追求すべきことは、定番やエヴァーグリーンコンテンツ、教科書レベルで普及している「鉄板ネタ」をなぞり、多数の同意を得て気持ち良くなることではありません。
「先生」と慕ってくれる人や、甘やかしてくれる信者のために、草野球レベルのぬるま湯で満足していると、いつの間にか時速160kmを要求されるマウンドに戻れなくなってしまいます。
アナタにしか追求することができない、アナタだけの高みで孤高を貫くからこそ、未来や文化の拡大を期待され、支持や支援を託されるはず。
その期待を裏切らないためにも、最も要求水準の高いマウンドに立ち、時速160kmを超えるボールを投げ込みましょう。
流れに逆らい、最高水準のトッププロへ突き抜けろ
自ら「季節の定番」を生み出し、それを踏襲して定番やエヴァーグリーンコンテンツを提供するのも、戦略として有効でしょう。
また、「何がエヴァーグリーンか」を整理したり、ひたすらエヴァーグリーンを発信し続けるのも、大変なコストや労力がかかる一大プロジェクトです。
ただ、独自性の薄いコンテンツや、実体験に基づかないコンテンツでは、AIに代替される時代が訪れつつあります。
高校生の全国区レベルや、アマチュアトップ層の水準ですら、AIに置き換わってしまう可能性は、決して低くありません。
安泰といえる領域は、各ジャンルの最高水準にしか残されていないと言えるでしょう。
その中でトッププロを目指す姿勢で挑まなければ、やがてAIに飲み込まれてしまいます。
「水の低きに就くがごとし」と言われるように、楽に承認欲求を満たせる領域へ流されることもあるでしょう。
ただ、それではあっという間に駆逐されかねません。
重力や自然の流れに逆らい、トップレベルの厳しい世界を目指しましょう。
トッププロとして、さらなる高みへ突き抜けること。
それが、2026年に向けた間違いのない戦略です。
共創は、甘やかさない人と
Web制作もマーケティングも、ブランディングも。
厳しくお尻を叩いてくれる人と取り組まないと、簡単に楽な方へ流れていってしまいます。
過去をなぞらえる縮小再生産には、決して取り組みたくない私たちと共に、高みを目指す厳しい共創に取り組んでみませんか?
少しでも私たちに興味を持たれた方、Web制作やマーケティング等に関心がある方は、ぜひ気軽にご相談ください。










