- 「今すぐ行動したい人」へ向けた『In other words, hold my heart』
https://note.com/bbns/n/n8471a0a68b10 - 「知りたい人」対策の『In other words, I love you』
https://bbns.jp/knowledge/1753/ - 「知りたい人」へ働きかけ、自分事にさせる『In other words, darling kiss me』
https://note.com/bbns/n/n84bb0dd4cae4 - 選ぶ理由としてUSPやMVVを準備する『In other words, please be true』
https://bbns.jp/knowledge/1756/ - より具体的な”please be true”を探る『In other words, please be true :||』
https://note.com/bbns/n/na6f52ae863ce - 在りのままで良い理由と、専門家の手を取る理由をお伝えした『In other words, hold my hands』
https://bbns.jp/knowledge/1769/ - 効果的なSNS運用には、自己開示する必要があると語った『In other words, I love you :||』
https://note.com/bbns/n/n854b04208e4a
今回は、「SEO・マーケティング 入門 2026」第8弾。
前回取り上げたSNSに次いで、専門家でなくても手を出したくなるのが、ブログ、あるいはコンテンツSEOでしょう。
前回も今回も、それだけで一冊の書籍が出せてしまうジャンルですが、どの書籍でもあまり触れられていない部分にも踏み込みながら、話を進めてきました。
今回も、コンテンツマーケティングとして最も身近で、お手軽に思えるブログ記事と、その向き合い方についてお伝えします。
全8回の締めくくりとして、もう一度”In other words, I love you”を重ねてみようという魂胆です。
早速、本題へ入っていきましょう。
目次
データやインフォメーションで勝負しない
コンテンツマーケティング、あるいはブログにまつわる入門編であれば、恐らく最初に取り上げるのは、「なぜやるのか」と「何を書くか」のどちらかでしょう。
「なぜやるのか」や「何を目的とするのか」は後ほど改めて触れるとして、「何を書くか」は基本的に取り上げません。
継続的な記事作成を、計画的かつ無理なく進めるためには、エディトリアルカレンダーを作ってスケジューリングしたり、どんな記事を書くべきか、コンテンツマップとして書き出せといったノウハウは、書店や図書館に駆け込めばどこでも入手できるでしょう。
定期的にいつでも役立つエヴァーグリーンを織り込んだり、季節的なものも踏まえて「今年ならではの記事」も織り交ぜろといったアドバイスも、簡単に見つかるのでこれ以上細かく踏み込みません。
そういった方針の上で、あえて一番最初に掲げるのはデータやインフォメーションといった、「情報発信」で勝負をするな、というアドバイスです。
情報を求め、キーワードを検索して流入してくる相手に対し、表や図、箇条書きを駆使して、情報を受け取りやすい形にして整えておくべき。それも一つのやり方ですが、そのやり方だけになってしまうと、情報の新規性で勝負することになりがちです。
差別化を図ることも難しくなる上に、書き手として既存のコンテンツに対するネタ被りや、コピーコンテンツ扱いの回避に、頭を悩ませることにもなるでしょう。
基本的にはどんな分野も成熟していて、同業他社が山のように存在する中、自社しか所有していない知見やデータなんて、そんなに多くない上に、万が一そんなものがあるとしたら、簡単に世に出してはならない、企業としての生命線ではないでしょうか。
公的な機関や大学などが背後にある研究機関や、大手企業の関連会社、専門業者だけの専売特許になりがちな分野に、わざわざ自分たちから首を突っ込む必要はありません。
それに、前回のSNSの時に「ブログ以上に書き手の人間性や、情報だけでなく情景や空気感」とお伝えしているので、当然ブログにも同様の要素が求められます。
コンテンツマーケティングとして、そのオウンドメディアや書き手に対して何を期待しているかと言われれば、単なる情報だけではないはず。
それを理解せず、「とにかく情報を発信すればいい」と思って必死に記事を量産する体制をとったところで、思ったほどのリターンは得られないでしょう。
それが最初のポイントです。
Google的にも、経験が欲しい
じゃあ、何を発信すべきなのか。
ヒントとなるのは、Googleが掲げている「検索品質評価ガイドライン」であるE-E-A-T。
「Experience(経験)」「Expertise(専門性)」「Authoritativeness(権威性)」「Trustworthiness(信頼性)」の四つの軸で、コンテンツの良し悪しを見極めれば良いということです。
ここで注目して欲しいのは、2022年12月に追加された「Experience(経験)」が入っていること。
Googleとしても、単なる初出し情報や、貴重なスクープではなく、書き手ならではの視点や感想、具体的なエピソードといった、複合的なコンテンツを求めていると言えます。
Googleも、検索流入してくるユーザーも、書き手が一方的にWebの海へ投げ込む情報なんて求めておらず、その頑張りは徒労に終わりかねません。
さらに言えば、生成AIが発展し続ける昨今です。
AIにでも出せる情報では、わざわざ人が介入して記事にまとめる必要すら無くなるでしょう。
そして、そう言ったコンテンツは、短期的にはアクセスを稼げても、長期的には成果を上げられなくなっているというのも、E-E-A-Tにおける「経験」がいかに重要かという証でしょう。
「誰が書いているか」にも影響を受ける「専門性」や、どの媒体で掲載しているか、あるいは引用されているかといった「権威性」、「信頼性」も確かに重要ではありますが、書き手の経験や育まれたセンスにも影響を受ける細やかな違いや、一回限りの実体験とそれがもたらす、唯一無二の試行結果こそ、重要視されているとも言えそうです。
発信し続けて、E-E-A-Tとして総合評価を高めていきたいのなら、アナタらしさや経験も織り交ぜねばならない。よって、その業界のリーディングカンパニーやニュースサイトでもない限り、データやインフォメーションそのものの勝負や、早出しに注力することは正しくない、といえるでしょう。
非リアルタイムのコミュニケーション
ここまで読み進めたら、「じゃあ、どうしたらいいの?」と余計に混乱している方もいらっしゃるのでは。
見通しを良くするために、何のためにブログを書くのか、なぜコンテンツマーケティングをやるのかを、改めて考えてみましょう。
人によって答えは様々だと思いますが、ビジネスとして考えた場合、ブログやコンテンツマーケティングに求める役割や目的としては、コミュニケーションということになるでしょう。
これから商品やサービスを買い求める人に向けて、自分たちの独自性や価値観を説明したり、何がどう良いのかをお伝えしたり。これを「教育」と呼ぶこともあります。
ただ、通常のコミュニケーションとは異なり、根本的に非リアルタイムです。
それも、一度まとめたコンテンツを通じた、時間差かつ相手主導のコミュニケーションです。
膝を突き合わせた商談や、絵本の読み聞かせ、紙芝居のように、伝えたい側が主導権を握り、「こんな風に解釈してほしい」とその場で熱弁を振るうことはできません。
仮にポッドキャストや動画コンテンツであったとしても、そのコンテンツ内に詰め込まれたもの以上は、お届けすることが叶わない。それが、コンテンツを通じたコミュニケーションの特徴でしょう。
何のために、こんなに面倒なコミュニケーションを選ぶのでしょう?
それは、「24時間営業してくれる営業マンが欲しい」とか、相手がいつ来てもいいように、読み物として用意しておいた方が効率が良いからに他なりません。
隙間時間を上手く活用してコンテンツ化し、手離れが良い部分を予め構築できていれば、「詳しく知りたいんだけど」という問い合わせと、「契約したいんだけど」という手続きが同時に発生したとしても、片方はコンテンツへ案内するだけで、どちらも無理なく対応できるはず。
機会損失の回避とチャンスの最大化を両立する施策がコンテンツを通じたコミュニケーションであり、有用なブログ記事があれば、それだけで人手の少なさを補えるかもしれません。
それではもう一歩踏み込んで、「なぜ、コミュニケーションをしたいのか」。
商品やサービスの良さを知ってもらいたい、価格の理由を理解してもらいたい、余計なトラブルを回避したいなど、様々な理由が挙げられるでしょう。
しかし、根底にある共通項としては「もっと親しくなりたいから」じゃないでしょうか。
一人の人間として、仲間や友達として受け入れてもらいたい、精神的にも物理的にも近付きたい。
だから、必死に心を砕き、表現にも気を配って面倒臭いコミュニケーションをするのでは。
その「近さ」や、「好感を持たれたい」という創意工夫が緩衝材や潤滑油の役割を果たすからこそ、日本では電子メールや職務上の通達ですら、長ったらしい文書になってしまうのではないでしょうか。
業務や辞令であれば、指示や命令を端的に伝えても問題ないはずですが、(単なる社会通念や慣習として残っている面倒な風潮かもしれませんが)「それではあまりにも味気ない」と、紋切り型の挨拶文や、「お世話になっております」あるいは「お疲れ様です」といったフレーズが冒頭に挟まります。
落語の枕ほど顕著ではありませんが、手紙やメールでの私信の場合、季節に合った挨拶文や、締めの言葉にこそ、創意工夫を施せるように苦心する、というのもよくある話でしょう。
徐々に衰退しつつある文化とはいえ、年賀状や暑中見舞い、残暑見舞いといった季節の書状も、ハガキというコンテンツを用いた非リアルタイムのコミュニケーション。
全員に同じデザインの年賀状を送ったとしても、近況に対する一筆はそれぞれに書き添えるでしょう。
単なる情報発信であれば、「謹賀新年」や「暑中見舞い申し上げます」だけで終わってしまいますが、一筆書き添えるそのコメントこそ、コミュニケーションとしてはメインのはず。
ただ情報を送りつけるだけでは、良質なコミュニケーションとはならない。
それもまた、忘れてはならない重要なポイントです。
相手主導 + 良質な体験を
単なる情報発信、つまり「伝えたからOK」ではないというのは明らかでしょう。
コンテンツを通じた非リアルタイムのコミュニケーションとして捉えるのなら、絶対に忘れてはならないことがもう一つ。
それは、コミュニケーションの主導権を握っているのは、コンテンツに触れる相手であるということ。
絵本の読み聞かせや紙芝居であれば、コンテンツを通じたコミュニケーションであっても、語り手が主導権を握れます。
聞き手の理解が追いついていなくても、強引に最後までページを捲ることも可能です。
しかし、一般的なブログやコンテンツの受容というのは、読むペースや「どう受け取ったか」という解釈まで、受け取る側に委ねられます。
仮に動画や音声といった、作り手が流れや時間を制御できるコンテンツであっても、最後まで付き合ってくれるかどうかや、どんな環境で閲覧するかは、相手が決定します。
お金を払って鑑賞する映画や舞台であっても、「合わない」とか「時間の無駄だ」と思えば、途中で離席されてしまうでしょう。
それが、無料で見られる路上ライブやストリートパフォーマンスであれば、尚更です。
目の前に相手の姿がない状態で、モバイルやタブレットといった端末で無料コンテンツに向き合っていれば、より一層、途中離脱のハードルは下がるでしょう。
移動中に電車やバスに揺られながらだったり、トイレにこもっている最中だったり、不意にできたスキマ時間の有効活用だったりと、PC中心だった時代に比べれば、受け取る環境も多様化を極めており、「こういう状態で見てほしい」と指示することはほぼ不可能です。
それでもなお、最後までコンテンツに付き合ってもらう。
コンテンツを通じてコミュニケーションし、少しでも興味を持ってもらい、親近感を抱いてもらいたいなら、相手にとことん配慮して、良質なコンテンツ、良質な体験をお届けする他ありません。
ただ情報を届ければいい、伝えたらいいという考え方から、良質な体験というUXに切り替えること。
何を伝えるかという中身、つまりUIも確かに大切ですが、それ以上にコミュニケーションという体験として、良いUXであるかどうかという方が、はるかに重要です。
伝え方や、伝える環境やシチュエーションに細心の注意を払うのは当たり前、受け取る相手に楽しんでもらおうというホスピタリティや、おもてなしの精神も不可欠です。
そして、「何を伝えるか」という中身に対する創意工夫も必要になってきます。
持ち運びや保存性を考慮すれば、保存食のように水を抜いたり、サプリメントのように有効な成分だけを抽出し、無駄な部分をとことん取り除いた「記録」にした方が良いでしょう。
機械的なログや、余計なデータを綺麗に取り除いたサンプル、宿題としては「よく書けている」けど、面白みに関しては全く考慮されていない日記、あるいは行政文書や法律条文を叩きつけられても、大抵は途中で読むことを辞めるはず。
身体に良いからといって、パサパサの鶏胸肉をそのまま目の前に出し出すようなものであり、良いUXとして考えるなら、適度な水分や油脂、塩気や旨み、香りといった余計な要素を付け加え、食べやすく加工するでしょう。
情報そのものとしては余計かもしれない挨拶文や余談、枕話や書き手の人間性、あるいは情報の取捨選択や演出というのは、情報を受け取りやすく、また記憶に残りやすくするために必要な創意工夫です。
これらは、情報にとっては保存性や再利用性を悪化させる「腐りやすい要素」ですが、大切な潤滑油であり、コミュニケーションにおける「旨み」です。
伝えた相手を前のめりにさせ、「私も仲間になりたい」と思ってもらうには、相手に寄り添って良い体験を作り上げること。そして、コンテンツはアナタならではの個性とエンターテインメント性を意識すること。
相手に主導権があるからこそ、相手の心をグッと掴みましょう。
良いコンテンツ、良いUXから学んで磨け
非リアルタイムのコミュニケーションとして、よりよくするにはどうすれば良いのか。
その指針となるのも、エンターテインメントです。
相手に主導権があってもなお、相手の興味関心を掴んで離さない魅力的なコンテンツであれば、お互いの関係構築を助けてくれるでしょう。
ただ、いきなり「エンタメ作品を作れ」と言われたところで、才能も技術も経験もなく「私には無理」と思われるでしょうし、そんな簡単に「面白い作品が作れる」とも思えません。
また、すでに述べたような視聴環境や供給スタイルの変化、あるいは紙媒体と電子書籍、パッケージ販売とダウンロードコンテンツの思いもよらぬ地殻変動に追随するように、コンテンツの中身や味付けそのものも、大きく変わりつつある、とも言われています。
それでも、根幹であるノウハウやテクニックそのものは、今後も有効と思われるので、古典や名作と言われる先行作品や、アナタが個人的に好きなコンテンツ、エンタメをインプットしたり、分析してみるのは良い学習方法でしょう。
どの作品も、いきなり「伝えたいこと」で始まることはないし、「伝えたいこと」だけで構成されていることも少ないでしょう。
日本の映画館であれば、本編が始まる前に他作品の予告が「前座」や「前説」的に挟まるでしょうし、落語もいきなり本編へ入らず、アイスブレイク的な枕から始まります。
Youtube動画でも、短いイントロやオープニング、あるいは自己紹介やお決まりの挨拶から始まって、最後には高評価やチャンネル登録を促す呼びかけ、次に見て欲しいコンテンツへのアテンドまでを一つの型としているところが多いのではないでしょうか。
ニュースやプレゼンのように、逆ピラミッドやPREPといった冒頭に「伝えたいこと」を持ってくる場合もありますが、できれば最後まで聞いてほしい、見てもらいたいと思うからこそ、強い訴求を持ってきて、先に先に進ませようとするのでは。
音楽にも物語にも、起承転結のような構造があり、冒頭のツカミを優先することもありますが、それでもクライマックスや聞かせどころである「転」を目掛けて、徐々に積み上げたり、緩急をつけて受けての感情を揺さぶってみたりするはず。
少なくとも、事前に用意してきた素材を使って、常にずっと主張しっぱなし、音を鳴らし続けるということはありません。必ず、「伝えたい部分」と「そうでない部分(余白や休符)」で成り立っています。
そして、全ての要素を同時にぶつけたい、と思っている作り手も少ないでしょう。
「転」として伝えたい部分を主役に据え、それ以外は主役を活かすための脇役に回る。
それによって、クライマックスやサビがより一層輝いてくれる。
自ら意図してお子様ランチや、トルコランチみたいな「全部主役」みたいな設計にするのならまだしも、思いつくまま全部盛りした結果、「何の話?」となるケースも沢山見られます。
ハンバーグのプレートなら、ハンバーグを生かすように組み立てましょう。
そして、ハンバーグランチなら、ライスやパン、スープや付け合わせもあって、初めて満足されるように設計してあります。
3分なら3分、2時間なら2時間。
音楽ならできればフルコーラス、映像作品なら倍速再生なんかせずに受け取ってもらいたいし、「伝えたかったことは何ですか?」と聞かれても「全部だよ」と応えたくなる。
全ての要素が組み合わさって初めて意味を持つように、全体の構造や情報の疎密に細心の注意を払って作られているのが、良いコンテンツと言えるでしょう。
そして、いわゆる「図と地」という観点も忘れてはいけません。
- 図:焦点を当てる対象、形
- 地:図の背景となる部分
文章に置き換えると、書かれている部分、行やフォントが「図」。書かれていない部分、つまり行間やモニター、あるいは印刷されている紙の余白が「地」。
音楽に置き換えるなら、音が鳴っている部分、つまり音符が「図」。音が鳴っていない部分、休符や演奏されている空間が「地」。
映像であれば、色がついている部分や被写体が「図」。透明な部分や真っ白な部分が「地」です。
全体の特徴を決めるのは「図」の方かもしれませんが、全体の質を決めるのは、圧倒的多数を占める「地」の方です。
例えば、ビールやワインであれば、お酒の本体であるアルコールの部分が「図」に相当しますが、大部分を占める「水」が不味ければ、良いビール、良いワインにはならないでしょう。
お米を炊くときでも、炊き上がった時の味を左右するのは米そのものの「図」ですが、大部分を占める「水」が不味かったり、あまりにも硬度が高い水を使ってしまうと、全体的な味わいとしてはどうしても落ちてしまいます。
渾身の曲が生まれたから、気合を入れてレコーディングしたいと思っているのに、「無」であるべき「地」の部分に、空調の音や機材から出るノイズといった環境音が混ざっていては、思った通りの仕上がりにはならないでしょう。
映像を撮影する際も、「これが基準」と思われているホワイトバランスが崩れていたり、水平垂直が歪んでいたりすると、フォーカスの甘さや露出なんて気にならないレベルで、「なんか変」と思われるはず。
何でもない「無」の部分について、いかに質を上げられるか。
それもまた、無視できない大切な部分です。
テクニックや素材のコントロールも大切ですが、それと同じか、それ以上にそのコンテンツを手がける人の「地」がどれだけクリアか、どれだけ質が良いかが問われます。
先行作品から、どんな構造が良いかを学びつつ、同時に己の人間性やセンスも磨くこと。
これは、「たかがブログ」であっても変わらないポイントと言えます。
100から100を作らない。でも、完結させること
だんだん「入門とは?」みたいな領域に入ってきましたが、余談としてもう少し詰め込ませてください。
図と地の話や、素材を全部主役として使わないという話をしてきましたが、それを元にもう一段階引き上げるなら、100の素材から100%の仕上がりにするなということ。
商業作品レベルのエンタメ、コンテンツに、素材に対する歩留まりが100%という作品は、ほとんどないのでは。仮に編集を挟む余地が全くないライブパフォーマンスであったとしても、その前にリハーサルや練習を実施しているはずで、事前に準備してきた「他の素材」が密かにあっても、何ら不思議ではありません。
「現場でのノリが優先」というアドリブ重視のスタイルも確かに存在しますが、プリプロダクション、つまり撮影や録音、あるいは執筆する前の企画の時点で、「どういう素材が欲しいか」をある程度検討し、ポストプロダクション、つまり撮影や録音、執筆を終えた後の編集の段階で、得られた素材に対して「どう仕上げようか」と考えるのが、一般的な工程です。
現場でのノリ優先であっても、最終的な仕上がりとして「欲しいカットは決まっている」とか「やっぱり足りないから再撮影」というケースもゼロではありません。
撮影や録音の場合、自然な素材を得るために、演者が動き始めた瞬間や記録し始めた部分をカットして、真ん中の部分だけを生かすというのも、よくある話です。媒体が勿体無いからと限界ギリギリまで生かそうとするのは、かえって不自然というか、クリエイターとしては褒められないやり方でしょう。
100の素材から100の成果物を作れるなんて、多分ほとんどのプロは考えません。
大半は素朴な素材から調理され、可食部を残して加工されます。その歩留まりがどの程度になるかは、媒体や作り手によって変化するため、一概には言えませんが50%前後なら良い方じゃないでしょうか。
そして、100の素材を全部、「図」とする必要もありません。
場合によっては、用意した素材を「地」の方、背景や世界観を支える設定の方に回し、「語らない」ことによって豊かな作品にするという手も、当たり前のように行われています。
これは、昆布や鰹節、豚骨や鶏ガラを「出汁」として使い、玉ねぎやにんじん、セロリといった香味野菜を「具材」ではなく、ベースとなる旨みとするような、あえて「地」として使い切って昇華し、全体の密度を上げるようなやり方とも似ているでしょう。
煮干しやエビの頭、あるいは出汁がらなど、後から具材として食べることも確かに可能ですが、だからと言って「使い捨てるのはもったいない」と、そのまま食べるのには向かない部分まで生かそうとするのは、プロとして正しいのかどうか。
主張させたいものが明確にあるからこそ、100の素材で100の成果物を作らない。
1000とか10000とかを用意した上で、あえて語らない、あえて「地」にして豊かなコミュニケーションとする。それもまた、既存のエンタメから分かる大事なポイントです。
あまりにも全てが語られ尽くしているような作品だと、「底が浅い」とか「考えが薄っぺらい」と思ってしまったり、作り手の「凄いでしょ」という想いが露骨に感じられて、良い印象は抱かないはず。
必死に気配りして、目一杯奉仕するけど、それは微塵も感じさせない。それが良いUI、良いUXです。
日本語なら、かなとカナと漢字と、場合によってはローマ字を組み合わせることによって、情報の疎密も一次元ながらコントロールすることができるので、それだけで空間的な広がりを演出することも可能でしょう。
そういった緻密かつ意識的なコントロールやホスピタリティこそ、エンタメとして、また良いUXとして大切な部分です。
そして、仕上がりについては、アイスブレイクから本編、エンディングや次回予告まで、そのコンテンツ内で過不足なく完結させること。
メールを送ったのに、後から「メールの件なんだけど」と電話をしてしまうようなコンテンツでは、受け手に「面倒だな」と思われてしまうでしょう。
最終的には受け取る側の内心の自由や、解釈の幅があるとはいえ、「できれば、こう受け取ってほしい」とか「こういう行動を起こしてほしい」と思うのなら、作り手がそのコンテンツで完結できるよう、創意工夫を施すこと。
Youtube動画の中で、チャンネル登録や高評価を呼びかけていないのに、他のSNSで「チャンネル登録してと言い忘れた」みたいに言われても、「見てる時に言ってよ」と思われる方が大半でしょう。
受け手に「面倒くさい」と思われたら、施策としてはほぼ負けです。
100の素材から100の成果物は作れなくても、「こうして欲しい」と思うことがあるのなら、それは100%過不足なく、そのコンテンツに盛り込むこと。
また、アイスブレイクにあたる挨拶、枕もきちんとコンテンツに含めることで、毎年恒例のコンテンツであっても、「毎年恒例」の部分と「今年ならでは」の部分を共存させやすくなりますし、コピーコンテンツかを多少回避しやすくなるでしょう。
そのコンテンツを真剣に受け取って欲しいなら、本編以外にも力を注ぎ、コンテンツだけで自己完結させておくこと。これはブログにおいても同様です。
高みに立たず、心を開け
かなり寄り道をしてしまったので、もう一度コミュニケーションとしてのブログに話を戻しましょう。
まだ見知らぬ誰か、あるいはすでに関係性を構築している具体的な人と、「今までより理解してもらいたい」とか「今よりお近付きになりたい」と思って、非リアルタイムのコミュニケーションをするはず、というのが大前提でした。
そうなると、仮にリードナーチャリングとして「教育」とラベルがついたところで、相手が何も知らない門外漢、ど素人だと決めつけ「上から目線」で情報を叩き込もうとする態度だと、受け手であるアナタはどう感じるでしょう?
仮にコンテンツとして極めて良質なエンターテインメントであっても「説教くさいな」とか、「何となく嫌だな」と思うのでは。
確かに、かつては自分を特定分野の専門家として位置付け、権威を高めるためにブログを活用せよ、ブランディングのためにペンを執れといったアドバイスもありましたが、もはやそんな時代ではないどころか、明確にネガティブに作用する時代です。
自らを高みに立たせるためのブログではなく、相手と関係性を持つ、あるいは深めるためのブログです。
自分を専門家、あるいは権威として高みに押し上げ、そこから見下ろすような態度は歓迎されませんし、意外とコンテンツや発信する姿勢から、見透かされています。
受け手は決して馬鹿ではないし、アナタに教えを請わなければならない門下生でもありません。
専門家ではないとしても、一般的な知識は有しています。
アナタが何かしらの免許や資格を持つ、本物の専門家や高学歴な天才だったとしても、相手に敬意を払って、対等な立場で向き合うこと。同じ人間として「仲良くなりたい」と申し出ない限り、どれだけブログを書き連ねたところで、どこかで限界が訪れるでしょう。
焦らなくても大丈夫。
基本的に、アナタのビジネスやアナタ自身については、アナタが一番の専門家であり、権威です。
アナタのビジネスに詳しい人として、「他と一緒」になりがちな情報だけでなく、遠くへ伝えにくい余計な要素、個性や人柄、匂いと共に「図と地」の両方を発信していきましょう。
「図」だけでは表現しきれない行間や背景も含めて、初めてコンテンツになり得るのだから。
そして、誰かと仲良くなりたい、踏み込んで欲しいと思うなら、自ら心の扉を開き、踏み込んでもいい場所へ招き入れること。
コミュニケーションを取りたい、お近付きになりたいと思っているのに、玄関の外、オフィスの外で行き交う人に「こんにちは」と挨拶をしたり、選挙間近の政治家のように、街角で「辻立ち」して主張や実績を演説するだけでは、相手とプライベートな間柄にはならないでしょう。
ご近所の顔馴染みや、仕事仲間としてオフィシャルな関係だけでなく、一歩踏み込んだ特別な関係を構築したいのなら、踏み込んでも構わないようにドアや鍵を開けておくべきです。
飲食店でも、入って来て欲しいなら暖簾をかけたり、照明をつけるだけでなく、入り口をちょっとだけ、あるいは思い切って全開にしていることがあるはず。
扉が開け放たれていること、中に入っても良いとアピールされていることによって、中に踏み込むハードルをグッと下げられる。それもまた、優れたUXから学べるポイントです。
誰かに踏み込んで欲しい、グッとプライベートな中になりたいと思うのなら、まずはアナタから心を開くこと。これはギバーズゲインーー与えてもらいたいなら、まずは与えよとも言えますし、「物事は言い出した者が率先して始めるべき」という故事成語、「隗より始めよ」とも言えるでしょう。
信用を得るためにも、まずはアナタが利を手放し、先に義を尽くす。
利を得られるまでは義を尽くすだろうという、足元を見られた形にもなりますが、それも飲み込んだ上で、どんな態度を取るべきか、改めて見直すべきです。
好かれたいなら、踏み込まれても構わない心の隙間を開けること。
そもそも、アナタから心を開くこと。
玄関先や人通りの多い公共の場でやり取りするだけでなく、応接間やプライベートな空間にご招待して、特別な関係を築きましょう。
さぁ、月へ連れてって
通常であれば前後編どころか、三回分ぐらいに分けても良さそうな分量をお届けして来ましたが、いかがだったでしょうか。
検索流入してくるユーザーも、検索アルゴリズムも、ただの情報だけを求めておらず、書き手ならではの情動や情感、その一回ならではの空気感といった、言葉や写真といった「図」だけでは表されない行間、「地」も含めて求められている、というのが今回の主張でした。
コンテンツを通じたコミュニケーションとして機能させたいのなら、情報そのものを届けようとするのではなく、情感や空気感、アナタ自身の「お近付きになりたい」という覚悟も踏まえて一つのパッケージに収めるべし。
故に、SNSの時と同様に、ブログであってもポイントは同じく”In other words, I love you 𝄂”。
これで、全8回に渡ってお届けしてきた「SEO・マーケティング 入門 2026」もおしまいです。
今すぐ動きたい人の心を掴む、”hold my heart”から始まり、徐々に恋愛のような駆け引きを経ながら、自ら「踏み込んでも構わない」と心を開いて、心も体も一つになるような”I love you”へ。
SEO・マーケティングの話でありながら、人と人のコミュニケーションという点で、本質は恋愛とあんまり変わらないのかも知れません。
さぁ、それでは、まだ出会っていないアナタだけのDarlingと共に、”Fly me to the moon”。
大事な人を、月に誘って。
In other wordsは一区切り
基礎基本ながら、多分あんまり出ていない内容をお届けしてきた”In other words”シリーズですが、一旦同シリーズは一区切り。
タイトルを考えるのが大変になったというのもありますが、もう少し広げた話もお届けできればと思っています。
入門編と言いながら、具体的なテクニックやノウハウはほぼ触れていないので、全8回のどれでも構いませんし、触れていない内容でも構いません。何か少しでも気になること、質問などがございましたら、いつでも気軽にお問い合わせください。
また、Webサイト制作やSEO、コンテンツマーケティングの支援、サポートを受けたいという方がいらっしゃいましたら、そちらも皆様からのご相談をお待ちしておりますので、いつでもお声掛けください。










