PHPの件でバタバタした日から1週間。
Node.jsの件やら、Brotliの件だけでなく、毎日のように何かしらが発見されているような気がしてしまうので、「AIの脅威」を強く感じている今日この頃です。
でも、AIには罪の一面だけでなく、功の面もあります。
今までは作れなかったものを作れるようになったり、今までとは違う発想で斬新なものを形にできたり。
従来の常識やセオリーに囚われることなく、自らの理想を追いかけることも可能です。
Webページのレイアウトでも、ファーストビューの背景に動画を持ってきたり、フッターの後ろを動画にして、アニメーションや動きでインパクトを残そうとするなんてまだまだ。
全面をcanvasにして、インタラクティブなゲームっぽさを追求したり、Three.jsを使ってメタバース風の3Dにしてみたり。
紙媒体のように縦横のサイズが決まっていたり、建築物のように消防法に則って「こうしなければならない」というルールがある訳でもありません。
型にハマりすぎても、印象には残らない。だから思い切って自由にやる。
それも確かに間違いではないのですが、Webサイトの場合、絶対に忘れてはならないポイントが1つあります。
今回は、改めてそこについて触れてみましょう。
Webサイトは「使う」もの
Webサイトと他の媒体で大きく異なるのは、単なる「見せるもの」ではなく「使う」ものであるという点です。ユーザー側の能動的な関与、操作を必要とする媒体である以上、作る側の一方的な好き勝手は控えた方が賢明です。
ユーザーの能動的な関与が必要という点では、映画や小説なども同様でしょう。
とにかくガツンと伝わればいい前衛芸術、詩歌であれば形式や受け手への「分かりやすさ」は一歳機にすることなく、自由に振り切っても構いません。ただ、「最後まで鑑賞してほしい、読んで欲しい」と思うのであれば、「受け取りやすさ」は大事なポイントです。
そして、個人の趣味や技術を追求する場で用いられるのならともかく、ビジネスの一環としてWebサイトを用いるのであれば、プライバシーポリシーや利用規約、特商法に関する表示など、最低限守らなければならないルールも存在します。
別に、表示速度やレンダリングパフォーマンスなど、Core Web Vitalsを気にしなさいとか、人にもAIにも読みやすい綺麗なHTMLを書きなさいとか、そういうことを言いたい訳ではありません。
Webサイトはあくまでも道具であり、誰かが「使う」ことを前提にすること。
そして道具である以上、ユーザー側が自然と培ってきた「慣れ」を裏切らないこと。
ユーザーがその都度、「これ、どうするんだっけ?」と余計な動作を挟まなくても、スムーズにストレスなく使えること。アクセシビリティ以前の問題を気にかけてください。
自由や想いを優先するのか、Webサイトの目的か
「自分はこうしたかった」を自由に追求しても、何の問題もありません。
表現の自由として認められていますし、「こうしなさい」と命令する立場でもありません。
ただ、「私はこうしたい」を追求しすぎて周りが見えなくなると、そのWebサイト、そのページで果たしたかった目的が達成できなくなる可能性が出てきます。
私の願望と、周りがそれを飲み込んでくれるかは、別問題。
ヘタをすると、トレードオフの関係になることも。
個性的だね、尖ってるねと言われるところで踏み留まること。
それ以上突き抜けてしまうと「周りの意見に耳を傾けない頑固者」とか、「独りよがり過ぎる」と受け取られてしまいます。
何のために、そのWebサイト、そのページを作ったんでしょう?
その表現、アウトプットを通じて何を果たしたかったのでしょう?
それを常に頭の片隅に置いて、自由になりすぎないよう自制すること。
程よい塩梅を見つけましょう。
インタラクティブは、そんなに要らない
スクロールに対して前と後ろで差を設けることによって、ズレを演出するパララックスや、スクロールに応じて見せるものが変わる動きとか。あるいは下から浮き上がってくるようなエフェクトや、透明度が変わる演出など。
作る側は「良かれと思って」仕掛けているインタラクティブな要素だと思いますが、ユーザーとしてはそこまで気にしていない、というのが正直な感想じゃないでしょうか。
「使う」上で役に立っているのならまだしも、なくても良いものが大半に思えます。
その演出のために読み込みが遅くなる、HTMLが汚れるのであれば、ない方がいい。
作る側、サイトを運営する側の自己満足にしか映りません。
サイトに流入してから、印象に残そうと思わなくて大丈夫。
まずは使いやすくすること、伝わりやすくすることが先決です。
ユーザーの体感、UX向上に繋がらないのなら、思い切って辞めてしまっても良い。
個人的にはそう思います。
離脱する自由もある
相手が目の前にいるのならともかく、好きなタイミングで閲覧して、パッと閉じられるというのもWebサイトの特徴です。パソコンで見るしかなかった時代ならともかく、今はモバイル端末、スマートフォンやタブレットでどこでも見られるため、以前よりも簡単に訪問できる分、簡単に離脱できるようになっています。
気が散りやすいブラウザで見ているというのも、集中してみてもらいたい側にとっては、大きなデメリットでしょう。配信サイトで映画を見ても、集中は途切れやすいし、印象にも残りにくいはず。
やはり、劇場へ足を運び、「映画を見るしかない」状況に追い込まれた方が、最初から最後までじっくり鑑賞できます。
映画館で真ん中の方の席だと「いまひとつだな」と思っても周りの目があるので、簡単に離席することはできません。それなりにお金を払っているという、勿体なさもあります。
でも、Webサイトの閲覧に対価を支払うことはほとんどありませんし、「面白くないな」と思ったら、ショートカットを使ったり、指先の操作だけでページやタブを閉じられます。
相手が使い慣れないUI、閲覧に少しでもストレスがかかるようなら、「面倒だから」とその瞬間に離脱できる媒体。相手に寄り添わず、自分勝手を貫いたところで「使える媒体」にはならないでしょう。
独創性より、ユーザーの慣れ優先
独創性が全く要らないとか、完全な悪者だとは言いません。
ただ、それよりもユーザーが蓄積してきたであろうセオリーというか、「多分こう」を優先した方が良いのでは、というお話です。
圧倒的多数で用いられたUIを通じ、ユーザーは「こういうことなんだな」と何となくの使い方を経験則として蓄積しています。それを裏切って「ウチではこうしてね」と要求しても、受け入れてくれない相手は大勢いるでしょう。
ユーザーが使い慣れた形に合わせてあげる。
「使う」という部分で余計なストレスをかけるようでは、Webサイトとしての本来の役割、目的は果たせなくなるはず。
繰り返しになりますが、「こうしなければならない」はありません。
ただ、どのサイトでも自由奔放にやっていいとは言えないのも、また事実。
「こんなこともできますよ」とやりたいことをやる、自らの理想を追求する場は、しっかり選ぶこと。
Webサイトとしての性格や役割、目的をきちんと見極めましょう。
伝えたいことは、中身で伝える
セオリーを踏襲しても、印象に残らないし埋もれてしまう。
その言い分も分かりますが、大事なのは伝えたいことをしっかり伝えることです。
ユーザーにとってストレスなく使える「親の顔より見たUI」でも、中身で勝負できていれば小細工は不要です。見た目や技術の派手さではなく、中身を見せること。
そういった、派手さは一切ない地味なWebサイト、Webマーケティングで地道に成果を上げています。
しっかり中身で心を掴むやり方に興味がある、自分たちもやってみたいと思われた方は、いつでも気軽にご相談ください。










